今回は守護や地頭について
日本史を学ぶとほぼ必ずと言っていいほど聞く言葉
「守護」と「地頭」
何となく覚えている方もいるかもしれませんが
その後守護と地頭がどうなったのかを知っている人は意外と少ないのではないのでしょうか
そして今回はこの守護と地頭が一体なぜ生まれて
その後どうなったのかを簡単に解説していこうと思います
【注意】
守護や地頭の誕生やその前段階、当時出された勅許などに関しては様々な解釈があり
様々な説があるため今回の解説はあくまで一説としてとらえて頂ければ幸いです。
登場する人名などに関して、立場などによって変わったりしていますが
今回はわかりやすくするために変化なく紹介している場合もあります
あくまで歴史上の人物の心境や、それぞれの思惑などは
投稿者自身の解釈や考察が含まれているという事と
また、逸話や説などはあくまで説として、事実とは限りませんので広い心でお願いいたします!
もし「ここ間違えてるよ」ってところがあれば優しくコメント欄へ
修正があった場合は概要欄に追記させていただきます!
また動画制作の励みになるので、ぜひ高評価ボタン
チャンネル登録よろしくお願いいたします!
【参考サイト】
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
【BGM】
甘茶の音楽工房
【画像】
京都フリー写真素材集 https://photo53.com/
#ゆっくり解説 #日本史
21件のコメント
御家人→守護→守護大名→戦国大名→外様大名→華族→国民
区内の馬町て鎌倉に馬を集めて送る土地とか、平家の小松殿や三十三間堂の近く、久世辺りからも鎌倉へ米を送ったようだ、どうやら取れる所からとってたのかな、湖東は室町まで自治、天台領もあるし寺社領、鎌倉はどこまで手をだしたのかな。
とてもわかりやすかったです。
地頭っていつの間にか消滅してたんだろう?
と長年の謎だった帰趨を知ることが出来ました。
ありがとうございます。
既得権益が如何に強いかわかるいい動画。
信長は斯波氏追放したかなあ?
笑 昔ただテストのために暗記してスルーしてた。大人になった記憶さえもなくなる単語だけど、こんなテーマ素敵です。
テーマだけでびっくりと微笑ましい感じ。
動画ありがとうございます🙇
地頭所さんと言う名前がある
好景気でも不景気でも一定の税収がほしいからどんどん増税しようとするZ省と同じだな
権力・権威というものは軍事力・経済力・情報力によって人から認められることが成立の要。
俺らの世代は頼朝は征夷大将軍になって鎌倉幕府をひらいたって小学校では教えられたんだけど
大雑把すぎるわ。征夷大将軍が幕府を開くための資格ではない。
鎌倉から九州等西国まで支配できた事が凄い。正確な地図、街道の整備も江戸時代より未熟だったと思われるのに。
荘園とかはテストで捨てたな。
日本史では戦と幕末の前後だけで勝負してた。
信長の家系は、守護代では無く守護代の家臣です
私的には、現在に置き換えると守護が県知事で地頭が市長って感じですね。
今も昔も変わっていないのは、地方で徴収した税収を一旦中央政府に集めて地方に再分配している。
アメリカ合衆国だと州単位の政府が有って各州が独自の税率を決めて徴収して独自で税を使い道も決めている。
日本でも戦国時代に地方の領主(守護大名や戦国大名)が、独自の検知で農民百姓から年貢(税金)を取り立ていた。
それを百姓出身の成り上がり者が全国一律で統一した検知を強硬に行ったので各地で反乱一揆が起こった。
それで掻き集めた莫大な年貢で贅沢な暮らしをしていた。怒
学者さんが守護大名なんて呼ばないって言ってたがな。学会でも論文でも。
素朴な疑問。
この動画では触れられていなかったけど荘園はいつごろになくなったのだろう…?
何となく戦国時代までの変遷で
国単位で管轄するのが守護で
地方単位で管轄するのが地頭っ思ってた。
守護地頭が国司の仕事や報酬を横取りしたと言うより
京から赴かず利権だけを貪る国司の目の届かない所で隙間産業の様に警察や司法を司って、取れない租税をキッチリ取って国政を担ってた印象がある。
地頭と言う単語が出てきたのは何時かと調べると面白いですよ。なんと、平清盛に付き従った厳島神社社家・佐伯景弘の名前が出てくる。つまり鎌倉時代前、平安時代末期に生まれたんです。
間に平氏を挟んだのが原因なのかも知れんが
滅ぼされずに生き残った公家≒藤原氏のしつこさにびっくりやわ。
泣く子と共に勝てないのが地頭、勝てるのが守護。
守護だけやってる奴は皆無で、他の国では地頭をやっていてその国の守護ともめたりする。