「どんな人でも確実に儲かる」との謳い文句のビジネス情報商材を十数万円で購入し、その通りやってみたものの、まったく収益が上がらない、という話をよく聞きます。
この件に関しては、わたしもインターネットで仏法を伝えようと勉強している経験上からも言いたいのですが、まず大事なことは「容易にはネット上の威勢のいい宣伝文句に躍らされない」ことです。
ネットや投資の素人にとって成功した経験者のアドバイスは魅力的ですが、本当に成功している人かどうか、確認された方がいいです。

「こんな暮らしができるようになりました」とアピールする自称・成功者の中で、その実態は中学生のお小遣いにも満たない金額しか稼げていない、というのが相当あります。
それでいてそんな人が高額なサービスを売りつけようとしているのは、滑稽なほどです。
ところがこういった人様から大事なお金をもらってビジネスをする資格がない「なんちゃって先生」「なんちゃってコンサル」がネット上にはうんざりするほど多いのが実態です。

だからといって人の意見を無視せよ、というのではありません。
「成功者のアドバイスほど貴重なことはない」というのは、はっきりと言えることです。
ただその「成功者」が、本当に成果を出せる誠実な人かどうか、が問題で、その見極めを間違えてはならないということです。

ではどうしたらその見極めを間違えずに済むのか。
最も堅実な方法は、自分が勉強をして賢くなることです。
自身が力を付けるしかありません。
本は安価なのでオススメです。
それ系の本を何冊も読んでいくといろいろわかってきます。
また無料のサイトがあると思うので、そこでその人がアップしている文章をじっくり読むことです。
無料のサイトの文章、動画で、学べるものがない、惹かれるものがない、としたら、その人から学ぶのは止めた方がいいと思います。
つまり無料で読める文章、動画でも十分お金出してもいいクオリティだったという時だけ、検討すべきです。

なんでこんな話を仏教の教えを伝える当サイトで述べているのかといいますと、これは仏教を学ぶ際にも同じことがいえるからです。
仏教を伝える講師、学者、僧侶だといっても、誰でも正しく説いているわけではないことをよく知っていただかねばなりません。
「わたしは仏教をお伝えしています」と言っても、ネットの自称・成功者と同様、いい加減な人がごまんといます。
そんな人の言葉を真受けにして、仏教はこんなものかと早合点されたら大変です。
仏教を説いているその人がどんな内容を書いているか、根拠があることなのか、共感できるものなのか、論理的なものなのか、無料でその人がアップしているものがいくらでもあるはずなので、それを読まれ、この人ならば、と思われたら、検討してみられたら良いかと思います。

親鸞聖人は生涯の師である法然上人に巡り会われた感激を
『真の知識(師)にあうことは難きが中になお難し』
“よくぞ親鸞、法然上人にお遇いしたものぞ、どうして真の師にお遇いすることができたのか”
『本師源空(法然上人)いまさずば このたびむなしく過ぎなまし』
“法然上人ましまさずば、今生もまた虚しく過ぎ去っていただろう”
と、しみじみと法然上人にお会いできた感激を述べられています。
これらの親鸞聖人のお言葉からは、真の仏教の先生にお遇いするということは並大抵のことではないことがひしひしと伝わってきます。

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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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えこんにちは菊谷です今日のテーマは宗教 団体に近づきたくない人へ単に章からの アドバイスということをテーマにお話しし たいと思いますま宗教団体にはあんまり 近づきたくないというのはこれは一般的な 今日の日本人のあの思うところじゃない でしょうかま仏教には関心がある学びたい あるいは聖書は読んでみたいえ教養として も知っておきたいまそういう人は多くなっ てきてますけどもだけど宗教団体は嫌だと まいわゆる 教祖なりあるいはその宗教的な指導者がい てえその人の言うことを絶対的に従うよう なまたそのそこには不興するプロみたいな え講師がいてそしてあの組織がガチッと 固まってるとでそういう宗教団体には 近づきたくない距離を置きたいなんとなく 嫌だとその宗教団体に縛られたくないとま こういう気分を持ってる人っていうのは これは一般的でないかと思いますま私もも そうでしたしまなんなら今でもそういう 気分の時はありますのでそれはよく分かる んですよねま場合によってはその宗教って 言ったらみんなイチでそして金を 巻き上げるんだとそのイチに騙されるのは 弱い人間だと俺は違うとまこういう風に 思われる方もあるでしょうしまそういう この宗教団体に近づきたくないというこの 気持ちですねこれについてうん単二章では どう言われてるのかっていうのを今日 ちょっとお話ししたいと思うんですねもう 単二章ってのは非常に魅力のある本でして 多くの知識人が魅了されていますし今でも たくさんの本がえ発散されますけれどもえ その単2章にはこの宗教団体近づきたく ないですというような気分の私たちにです ねどういう風に教えられているのかという ことをですねお話ししたいと思いますそれ 聞かれるとですねやっぱり単に章ってのは 魅力のある本だなということを感じられる 方は結構おられるんじゃないかなと思い ますのでえ聞いていただければと思います え今日の目次はこの3つです1番目が大会 したら地獄に落ちるのか2番目が新しい 両下問え3番目が真実はいつも少数派この 3つからお話いたし ますえ宗教団体に入ることを入会とか あるいは入信などと言ったりしますけども えこの宗教団体に入会しないと救われませ んよともこう言ったりあるいは大会すると 地獄に落ちるぞと脱会すると永遠に救われ んぞとえ大会すると頭が7つに割れてで 地獄落ちるぞとまこのようにですね脅す ものもいるということでま時々私にも大会 したら地獄落ちるなんていうそういう宗教

団体どう思いますかとこう聞く人あります けれどもこれはねもう常識的に考えてみて も容姿を書いて入会えその宗教団体の名簿 から外れたら奪回大会となことでですね 私たちが幸せになるとかならんとか救わ れるとか地獄落ちるとかなことあるはずが ないですねこれも冷静なえ思考で冷静な 感覚の持ち主ならばそんなことを言う人の 方がおかしいというのは分かられると思い ますえただこの仏教ではあの正しくお教え を理解する時には正しく教えを解く先生 から聞かないと理解できないし仏教の解く 本当の幸せは分かりませんよということは 教えられますねま単2章にもそのことを あのこのように言われていますえ幸いに 上縁の知識によらずばいかでか異業の一文 にいることを縁やとこのように単に省の中 にありますね幸いに上縁の知識右の知識と いうのはこれは仏教を正しく解かれる先生 ま全知識とも言いますえ全知識と言います のはこれ仏教の言葉でして正しく仏教を 解かれる先生のことを仏教で全知識と言う んですね知識というのはこれ仏教の先生 仏教の死のことを知識と言うんですま今日 のいわゆるあの人は知識の豊富な人だと いうような意味とえこんにちは違いますね 仏教で知識とあったらこれは仏教の死仏教 の先生のことを言われるんですけども全と つくのは正しく仏教を解かれる先生えこれ を仏教の言葉で全知識とこ言うんですけど もまその全知識によらなかったらいかでか 異業の一文にいることをやどうしてあ仏の 救いに会うことができようかとまこのよう に単に賞の中に言われているんですねえ 異業の一文にいるというのは身の救いに 合うとあ物に救い取られることを異業の 一文にいるとこう言われてますえこの異業 というのはですね優しい行とありますよう にえ人物を唱えることを異業と言いますま 異業ま他のね仏教の宗派が滝に打たれたり え瞑想したり厳しい仏道主義をするのに 対してあ物の救いを伝える上土真州は念仏 唱える行これ1つなんですねまですから 異業でないかとただ生物生物を唱えたらい やないかと何が難しいだとは誰でもできる やないかとまこのように思われると思うん ですけどもあの異業は異業でもですね何心 異業と言われましてえ何心異業というのは え念仏を唱える行は優しいけども新人を 売ることが難しいということなんですねえ 真実新人を逆する真実新人を売るという ことがこれ簡単じゃないということです 真実新人というのは信男書にも不可説 不可思議の信行とこう言われてますように 不可省言葉にできない不可説解くことが

できない不可思議もう認識想像さえでき ないそういうえ心ですからそれが真実信人 ですからその言葉にかからない不思議な心 の世界をどう伝えたら皆さんに分かって もらえるだろうかとどう話してもみんな 誤解するこんなもんだろうということで さっさと自分なりの理解をしてこんなもん だろうと受け止めて私はいだきました みたいにあ安直に思う人が多いんですね そうじゃないんだと真実信人っていうのは こうなんだということをですねまです言葉 にできない筆舌にかからない世界をなんと か分かってもらいたいということで 伝えようとされるのはも大変なことなん ですね解く方も難しいし正しく受け止める 方も難しい新人欠場っていうのは大変 難しいんだとこここで言われてるんですね だから正しい仏教の先生に会わなかったら 新人逆足することはできませんよという ことです誰でも彼でも素直に聞いてら いいってもんじゃないんですよと身の救い に合うには全知識に合わせていただか なければなりませんよとまこのように短理 章の中に言われてるんですねえもちろん ここで言われる全知識というのはえ人と いうことだけではなくてまその全知識の 残されたえ言葉教えというのももちろん 入りますというのも人の力で私たちは救わ れるんじゃないですね教えによって救わ れる教えによって導かれるとここよく知っ ていただきたいと思うんでこの次にそれを お話いたし ますえ人に力があるんじゃない教えが大事 なんだということを仏教ではその人とから ずしてその法としてこう言われましてその 人が尊んじゃなくて教えが尊んだという ことですねですから教えが真実ならばそれ はどんな人が解いていたとしても試して 聞きなさいということです誰か人の ミラクルパワーによって私たちは救われる んじゃない教えによって救われるんですよ と教えをより所にしなさいよということ ですねですから全知識というのは人の力で 救われるんじゃないその人の解かれる教え が正しいことならばその正しい教えによっ て私たちは救われるんですよとまこのよう に理章で言われているということですねえ 都宗教団体なんかで教祖やすごいこの卓越 した指導者がその宗教団体を大きくすると でその血統継いだ子孫たちが大々受け継い ででうんそのカリスマ的な力もそのまま 受け継ぐとでだから2代目3代目も同じ 教祖と同じパワーを持つんだとこんな風に して続いていく宗教団体って結構あります けれどもこれはあの信男書にの教えはそう

いうことないんですね教えなんですね教え を解く人ならば別にそれは血闘がどうで あれ関係ないんですねまところがあの上土 真州の歴史では信男証人の血統を継ぐ人 たちがえ保湿あるいは門主と言われて すごく尊ばれてまいわゆるこの上土真州の 教団のトップとしてま信男証人の子孫が ずっと大々でそれがすごくあの多くのモト のモトというのは上土真州の教えを聞く人 たちの尊敬を一心に受けてきたんですねご 門主様などと言われてでま江戸時代なんか はもう生仏みたいな扱いをされてますもう 日頃も着て赤い頃も着てそしてもうご門主 様のおを1目拝見したご紋所様の今からご 説法があるともう心して聞かせていただき ましょうみたいな感じでま何せこの信乱所 に血をついでる人たちがもう生畑のように 崇められたえそういうことがあったんです ねでも信乱所にの血を継いでるから尊いん じゃないんですよ1番大事なのはえを 正しく解く人が尊んですで実際にあのホス 門師というような人たちがあの第2次世界 大戦の時には戦争協力してえ天皇に順じて 戦争で死んだ人は上土に行けるんだみたい なことをですねえ全く診断書に教えにない ようなことを言い始めてそれは戦後になっ て真州教団も反省してえ門主だから発出だ からと言ってえ無条件で絶対視しないって いうこのことは反省して言ってるんですね で今問題になってるこの新しい両問って ありますけれどもあそこでもですねあの いわゆる蓮女証人の両下問みに救い取られ た体験告白された蓮女証人の言葉ですよね これが身に救い取られた心なんですよと いうことをレニ所人が教えられている信男 書人の教えはこうですよってことを蓮女 証人が教えられているそれが両下問なん ですけどもですごくあの上土新州ではその 両下問を大事にしてきてみんなで昭和する ですごく親しんできたんですね両下問に 沿って説教がなされてきたんですねま ところがその両下問の内容がま古いからと いうことで新しい両下問っていうのをこれ らの立場の人のお住みつきとして出された んですね最近でそれが果たしてこれがあの レニ証人の見に継いでる分かりやすい領問 と言えるのかということで今あの物議を 醸してますえその新しい領言問の中で問題 になってる箇所の1つが今から言う部分 ですけれども新しい領ではこうあるんです ねこれも一えに訴信男証人と法を伝承され た歴代手の尊いお導きによるものですとこ あるんですねま修そ信乱証人これは分かる あのこういう教えが私たちが今聞かせて いただけるのはえ信男証人のおかげですよ

とこれは分かりますけどその後に包頭伝承 された歴代総集とこれらの人のおかげだと いう風にあの新しい領問ではなってるん ですけどもこれらの人のおかげで私は今 信男省におしを聞かせていただいてると 言っていいのかというのが今あのの物議を 醸してるんですね中の1つですねこ本当に あのそうそういう問題提供をする僧侶が あるいはあのモトの人がいてくれて るってのはありがたいことで人じゃないん です教えによって救われるんですから信頼 省にの教えを受け継いでくださる全知識に よって私たちは信男書しを正しく聞かせて いただけるわけですねでレヤ証人の両下問 にはこのようにあるんですこの恩断り長文 申し訳相老ことご解散証人ご出世のご音 次第相場の全知識の浅からざるご関係の 合音とありがたく存じ相老とこありますね 誤解散証人っていうのは信男証人のこと ですからえ信男証人がこのようにお生まれ になられて仏器を解かれたいわゆる新人 所員照明法案の教えを明らかにしてくださ れたこの五音によって私たちは救われるん ですから信頼所人のご音であるとそして またその信男省人の合音をえ伝えて くださった全知識正しく仏教を解かれる 方々これは別にあの赤い子を着たこの人 たっていうことじゃないんです正しく仏教 を解かれた人ならばえ村にいて田んぼ耕し たりしてそしてえ家から帰った後いりでね あの子供たちに診断証人の教えわねという 風に正しく伝えてくださったもうあの名前 も知れの人たちも全部含めて全知識なん ですそういう伝えてくださった全知識の 浅からざるご関係のごそのようにに信男 証人の教えを正しく伝えようとこうされた 正しく伝えてくださったそういう方々のご 音を深く感謝せずに折れませんともうこう いうことなんですよ霊女証人が言われてる のは全知識と言われる方は決して赤い頃を もきたき生き仏と言われるようなこういう 人のことじゃないんです正しく仏教を解く 人が全知識です信男省にも赤い衣や何か この感覚だとか主教だとかいう資格で不況 された人じゃないです権力者から信男証人 が与えられたのは累計の子だったんです 墨染めの子で生涯過ごされた方が信男証人 ですそして権力者から与えられたのは大死 号じゃなかったんです主罪前歴人のおだっ たんですそういうこのお命迫害長生罵倒を 受けられながら信男省人は生涯姿勢の人々 へ胸から胸へあ仏の救いを伝えていかれた それが信男証人という方なんです え真実はいつも少数派というこの言葉は ですねあの湯川秀樹の言葉なんですねです

から物理学でもえ真実というのはいつも 少数派だと多数派意見っていうのが正しい というものじゃない学問の世界ってはそう いうものだということでま湯川秀樹が言っ てるわけですけどもこれはあの実は上土 真州信男省に教えでもそうなんです多数決 で多数派が常に正しいってことじゃないん ですねそれはね全知識という方はそんな たくさんいないってことですいやそれ どころが本当に少ないってことですだから 全知識に合わせていただくことができ るってのはここに幸いにってあるでしょま すごく幸せなことなんですよくぞ全知識に 合わせていただくことができましたねと ほとんど診断証人の教えですという風に 解く人の中で正しく仏教を解く人は多く ないんですよともう信男証人がおっしゃっ てんですよこのようにえ真の知識に合う ことは肩の中になお方 真の知識ってのは全知識のことですから真 の知識全知識に会うということは敵が中に なう方し難しい中にも難しいよとこれ信男 証人がおっしゃってんですよ簡単に会える ような人じゃないですよと甘よに星ですよ とよくそう全知識にお会いすることができ ましたねこんな幸せなことはもうないです よとこういう風に言われてるお言葉ですよ 信男証人はあの本年証人にお会いされた 喜びを多の間にも理の強知られき本言今 この度虚しく杉なし合多少ってのは公って のは何億年かる何億年のはるかなる間多少 ってのも生まれ変わり死に代わりを重ねて も理の強縁白きこの迷いから離れてる強い 力のあることを信男は知らなかったとどう して今知らせていただくことができたのか というと本元年証人のおかげなんですと年 証人という誠の先生に愛することができ なければこの度虚しく杉なし根性もまた何 のために生まれてきたのか何のために生き てるのか分からず虚しく人生終わっていた だろうとこ信な書におっしゃってるように よくぞ本年証人にお会いできたものだと よくぞ正しく仏器を解かれる先生にお会い できたものだとまこのように噛みしめずに 折れないのがですね全知識に合うってこと なんです本当の仏器を聞くってのはそれ だけ大変なことなんだということを幸いに という理では言われてるんですよね信男省 にこうも言われてます全知識に会うことも 教えることもまた片しよく聞くことも 固ければ信ずることもなおかしとこういう 風に言われてますね全知識に会うという ことが難しいんですよとな簡単に会える人 じゃないんですよと寺はたくさんあります 2万の寺上土真州だけでもありますけど

その僧侶の人みんな正しく武器を解かれる 先生だったらね信頼書にこんな風に言われ ないんですよで全知識に会うことは難しい と言われないんですよ今ね信男省人の教え だと言いながらですね身の救いは平成の1 年に新人欠場ということがあるんだって ことを解く人どれだけいるでしょうか ほとんどの人は死んだらお助けだとこう 思ってるんじゃないでしょうかあの上土 真州のモトの人はなんでそう思ってるかと 言ったら伝わってないからです伝える人が いないからです新人欠場という言葉さえ 知らない人はほとんどだと言ってもいいん じゃないでしょうかましてはその真実新人 がを売ることはいかに難しいことかという ことその真実新人をどう伝えたらいいかと いうことを明らかにしてくれる人どこに いるでしょうか少ないんじゃないでしょう かそれで全知識に会うことは難しいと信男 書に言われてるんですよ教えることも 難しいとそのね正しく解くってのは難しい んですねだから信男省にもレ2証にもどう 伝えたらどう伝えたらともう生涯の悩み だったんですこの広い身に救い取られた心 の世界このの深い物頭とお伝えしたらいい のか信頼証人の果てしない悩みだったん です診断証人はずっとそれに障害悩み続け られた方なんです教えるってことは難しい んですよく聞くことも固ければとそれをね 正しく聞くってのがまだ難しいんです 間違ってしまうんです診断書にの野は深い ですからすぐに間違ってしまうんですだ からよくよく聞かなきゃいけないんです 間違いに気づいたら直せばいいんですけど なかなか一旦間違えたものを受け取って しまうとですねね改めることができないの がこれ私たちですねだからよく聞くことは 難しいと正しく聞くということが難しいと 信ずることはなお果し新人欠場はなおなお 大変なことですよといや簡単じゃないです よま素直に聞きゃいいじゃないかと素直に いただけばいいじゃないかと何を難しくし てるんだっていう人ありますけどそんな 簡単なものじゃないんですだから信男証人 は教えることも難しいよく聞く正しく聞く ことも難しい信人欠場も難しいとこう言わ れてるんです難しいというのはですね尊い という意味もあるんですそんな尊い教えに よくざあなたは合わせていただき正しい 教えを聞かせていただくことができました ねと素晴らしいですねってことで幸いにと 僕その喜びを噛めずに折れませんとこう 言われてる言葉なんですよじゃあどうし たらこの全知識に合わせていただけるん でしょうかということですけどもま診断書

に教えを解く人たくさんありますけれども 本当に正しく解かれる人は誰なのかこれ 間違えたならばですねえ裏切られて苦しま なきゃいけませんのでその教えを聞く以上 正しく聞かないと時間もえ体力も無駄に なりますので正しく解く人は誰かえこれは ですねあの聞く人が真剣に考えなきゃなら ない真剣に取り組まなければならないこと なんです信ずるものの神眼には尋常なら ざる真剣さが要請されるという言葉があり ますけども裏切られたら苦しむのは自分 ですからだから何を誰から聞いたらいいの かまたどの教えをが正しいのかえこれを ですねしっかりと知るということがですね すごく大事なことです今は幸せな時代でね 無料でいろんな人があの情報発信してます からでその人がどんなことを言ってる人な のかというのは1回2回ぐらいじゃ分から なくてもたくさん見て見られたらですね その人が本当に正しく解いている人なのか それが本当に信頼書人のお言葉に沿った ことを言ってる人なのかその人の少年は 一体どこにあるのかそれはですねあの聞か れる中から皆さんが判断していただくしか ないんですよねま今昔はやね誰かの話を 聞こうと思ったらそこまで行ってそして その門を叩いてその畳に座って聞かなきゃ ならないっていう時代だったんですけど今 はもうインターネットでねどんなことを 喋ってるのかってのはその人のブログなり こういうYouTubeなりで話を聞かれ たら分かる時代ですから無料でいくらでも 確かめることできるんですからこれれ色々 聞かれてですね一方的に鵜呑みにせずに 色々聞かれてですねやっぱりこの人だなと いうような人をですねあの確かめて いただきたいと思うんですねその時はもう 理世的にしっかりと判断していただければ という風に思いますえ今日はあの信男書に の教えの結構専門的な話題になりました けれどもま私のチャンネルでは仏教全般 また信男省にはどんなことを教えられたの かということをこうテーマにお話しして おりますのでえ関心のある方は続けて聞い ていただけるとあのありがたく思いますえ 今日はご視聴どうもありがとうございまし [音楽] た

29件のコメント

  1. 悟りを開いたお釈迦様ご自身も、人々に説くことを躊躇したほど難解な真理の相です。
    また入滅の際、弟子に「私が説いた法と、制した戒律が、私の死後おまえたちの師となる」と言い残したように、人ではなく法を拠り所として修行を完成せよと言いました。
    また善知識を選びとるのは自分であり、そこも怠るべからずですね。

  2. 素直に聴聞して誤解して受け取るのは得意です。😅真に受けたり、真意を汲み取れない者には辛いですね。ご苦労いかばかりか。🙏

  3. 本当に信用できる教えは何なのか?騙されないように気をつけなければなりませんね。
    今日もありがとうございます🙇

  4. 宗教はその国の文化に影響を与えるものです。日本は欧米と比較すると特異な宗教観を持っています。欧米のキリスト教は「神を信じる」ものではなく「神に認めてもらえる、神の祝福を得る事」という宗教観です。その人の信仰を評価するのが神の恵みであって、善行が神の評価基準ではない。人物の人格が必ずしも「神の意」と一致するとは限らない。キリスト教は個人主義を生み、個人的欲望を追求しても構わないので犯罪は無くならない、差別が横行するようです。
    浄土真宗のむずかしさは「親鸞上人の偶像化」という事ですね、日蓮宗の難しさも「日蓮上人の偶像信仰」ですね。偶像崇拝という煩悩に囚われると排他的になる。「私が崇拝している親鸞上人は偉大だ」と思うあまりに他の宗派の仏道を否定したくなる。同じ仏教であることを認めたくない、自分の信じる道に執着して道を見失う、実に宗教は難しい。蓮如上人と一休禅師が仲が良かったことを誤解して優劣の判断をしてしまう煩悩を抱え込む。煩悩を増やす事に仏道は無い事に気が付かず無明の闇を彷徨う。人間て悲しいもんですね。

  5. 真宗僧侶と離婚して9年になります。
    お寺は通夜、葬儀、法事を行う事がメインで法要でもお釈迦様や親鸞聖人の教えを伝えておられる僧侶は少ないと思います。
    お経をあげてお布施を頂くだけの商売になっているのでは?と感じていました。
    菊谷先生の動画に出会えて良かったと心から思っています。

  6. 🌃 御法話 ご苦労様です。🙇 ・・・・そうですよネ。··· 真宗中興の祖ともいわれ、あれだけの教え(真宗教義)をひろめられた蓮如上人ではありますが、 善知識(覚者) かどうかの見境なく、自分の子女に寺を持たせたのが、如何にも人間的で生臭く俗世的ですよネ。 そういったことが遠因ともなり、”十劫安信„ とやらの異教義が興ったり、説法の布教などの衰退に繋がっていったといえましょうネ。・・・とにもかくにも、 ”無碍の一道„ に至る端緒として、遠い道程ではありますが、日頃の些細な事象を縁として、仏法益々盛んなることを願っております。・・・私が幼い頃は、真宗のお寺さん(僧侶)が定期的に高座に座って処世術レベルの話しを、時には真剣に またある時は面白くされてましたけどネ。 余談でした😰 失礼します。 合掌🙇

  7. 菊谷先生  今日のお話もありがとうございました。何時でもYouTubeで先生のお話を聴くことが出来ること、このご縁に心から感謝申し上げます。

  8. 4:41 お釈迦様も苦行をやってみて苦行はなんの意味もないと悟ったって手塚治虫の漫画ブッダで読んだ事あります。
    お釈迦様が否定しているのに苦行やるのはおかしいですね。

  9. 宗教は教えではなく考え方です、その考え方を真実と解釈とするのは如何なのもでしょうかね??まあ根拠のある考え方なら聞いても良いですが宗教は妄想です、妄想を聞いて何の意味があるのですかね?

  10. やっぱりいいな歎異抄😊
    領解文変える必要あったのかな、かなり混乱していますよね😅😅😅
    さあ今宵も皆様と一緒に
    菊谷ルーティン😊😊😊

  11. やっぱりいいな歎異抄😊
    領解文変える必要あったのかな、かなり混乱していますよね😅😅😅
    さあ今宵も皆様と一緒に
    菊谷ルーティン😊😊😊

  12. 今日は、菊谷先生。僕も最初に糸魚川の法話会場で、正信偈になったときに、とんでもないところに来てしまった❓❓ と思いました。これはもう、怪しい宗教団体ではないか !! と思いました。今では、出会えてよかった・・・ と思っていますが。

  13. 菊谷先生いつも大切なお話と大変尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。弥陀の不思議の無窮の願力の救いに値うためにも聞法正精進していきます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏

  14. 食欲を満たす事は出来るが煩悩を満たす事は出来ない。執着するものを持つと際限がない、金銭欲は満たされないと勘違いする人が居る、金儲けに執着するから満たされなくなるだけで、金を大切にするわけではない。金銭欲はお金を大切に使う気持ちなので満たされる。

  15. 信心獲得は日時を覚えていなければ信心を頂いていないというのは本当なんだろうか?
    この時はっきりしたという体験はあったが自分は時計を見ていたわけじゃないしいつだったかは忘れてしまった ましてや親鸞聖人の時代は時計なんてあるはずがないから、教えを聞いて弥陀から信心を頂いた年を覚えていても時間まで覚えていなければならないのはおかしな話だと思う

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