『永遠の大道』 ジェラルディン・カミンズ著
 浅野和三郎 訳並びに評釈
 第二十二章 幸福
 普通一般の男女に對して(たいして)

 幸福を論ずるに当たりては、全てに亘りて均衡の観念を失わず、人類が決して一列平等でないことを忘れてはならない。甲に対して、いつまでも変わらざる、誠の歓喜(よろこび)の種となる一つの生活が、乙にとりては、ただ不満と、不幸との源泉であるかも知れないのである。

 由来多くの学者達は、幸福につきて、厳密周到なる法則を規定すべく努力したのであるが、不幸にして彼等は、謬(あやま)れる前提の上に、無益の労苦を重ねた憾(うら)みがある。人間の性情は千差万別であるから、いかなる階級、いかなる国民、又いかなる男女を問わず、自分の提示せる法則にさえ従えば、皆幸福を見出すことが出来る、とは言い得ない。それ等の法則を、自己の日常生活に適用するには、或る一部の個人又国民は、物質的にも、精神的にも、又心霊的にも、まだ充分発達を遂げていないかも知れない。たとえそれが出来ているにしても、それ等の法則は、これを実際に当てはめてみると、単に退屈の源泉であり、激しい幻滅(げんめつ)の種に過ぎないかも知れない。
 一例を挙(あ)ぐれば、キリスト教、並びに仏教の神秘的禁欲論者の唱道する幸福への道は、ほぼ一致している。彼等は口を極めて、真の幸福は決して五感を通じて獲(え)られるものでなく、又金銭や権勢(けんせい)では、決して買われるものでないと教える。彼等の推薦するのは完全なる放棄であり、ありとあらゆる種類の富、権力、美の軽蔑である。彼等は何れも口を揃えて、真の幸福はただ静思内観(せいしないかん)、神との直接の交通あるのみであるという。つまり彼等は神そのものは尊重するが、しかし人間の五感を歓ばせ、人間の欲望を満足させるべく、神から賜る所の一切の事柄は、全部これを軽蔑せよというのである。

 私の視る所によれば、彼等の意見には、幾多の重大なる抗議の余地があると思う。神秘家自身には、或いはこの種の内的生活が、唯一の真の幸福の種であるかも知れない。が、百人中の九十人は神秘論者でも何でもない。彼等は月並みの平凡人であって、右の如き勧告を実行に移そうとしても、とても出来ない素質を有っている。もし強いてそんな真似をしてみようものなら、彼等はいたずらに自分の性情を狭(せば)め、苦しめ、又歪曲(わいきょく)せしむるだけである。で、普通一般人士に対する幸福は節制、克己、及び自由等の言葉の中に見出されると思う。彼は何より先に、自分自身を支配する事を学ばねばならない。一旦その力が修得されると、今度は続いていかに賢明に他人を支配し、又境遇を支配すべきかを学ばねばならない。それで初めて自分の自由が獲得される。第二に彼は自分というものが、広大無辺なる天地間の大機構の中の、極めて微弱なる存在であるかを知らねばならない。第三に必要なのは、天賦(てんぷ)的に自分に備わる所の、特殊の創造力を開発することである。

 一旦人間が自制(じせい)の力さえ習得すれば、そこで初めてある程度の心の落ち着きが出来て来て、日常の片々(へんぺん)たる不幸災厄(さいやく)の為に、進退(しんたい)度(ど)を失うような、下手な事はしなくなって来る。又他人に対する統制力が備われば、物質上の損害又は欠乏等から救われ、又悪意を以って色々画策(かくさく)する者が現れても、何とかこれを切り抜ける道がついて来る。もしそれ自身に対する謙虚なる評価は、自然他人との折り合いを良好にし、それだけで幸福の種子となるであろう。一時的にもせよ、自己を忘れ、必要なる同情を他人に分かつ仕業程、世にも麗しい仕業はないのである。

 次にかの創造的本能──これは人間性情の概要部(がいようぶ)を構成するもので、その賢明なる活用こそ、彼にとりて何よりも重要なる業務の一つとなるのである。この本能は或る程度、性的刺激に起因する。が、往々性と離れた仕事の上にも働き、それが最大の幸福の基(もと)となることがある。その人の性的生活が何であろうとも、彼はすべからく何等かの方法で、創造的本能のはけ口を求めるがよい。よし彼が一つの構成的想像力の所有者でないとしても、絵画の翫賞(がんしょう)とか、山水の探訪とか、兎も角も何物かの上に、自己の創造的本能の満足を求め、自己の感官に適当の快楽を与えることが出来る。が、何より幸福なのは、真の創造力と同時に、適当の自制力をも兼ね備えた人達である。表現すべき媒体の高下などは、少しも問題とするには足りない、その楽しみたるや、誠に言うに言われぬものがあろう。
 かの禁欲論者は、皆口を揃えて、金銭を軽視すべく諸君に教うるであろうが、実は夫子(ふうし※1)自ら金銭上に顧慮(※2)を要せぬ連中なのである。彼の友人又は崇拝者が必要品の全部を供給するとか、親譲りの立派な資産があるとか、禁欲者とは大概そんな境涯の人達だと思えばよい。

 かるが故に、自分としては、幸福を求むる者に向かって、金銭に対する適度の尊重を力強く忠告するものである。金銭がなければ餓死するか、さなくとも、非常なる肉体的欠乏、又は不愉快極まる衰弱を余儀なくせられ、肉の宮に鎮まれる魂の光を、充分に発揚せしむることは覚束ない。彼は最早自由の身ではない。何となれば、彼は時々刻々喧(かまびす)しき肉体の要求から苛まるる、哀れむべき身の上であるからである。又彼が薄給で、長時間労役に服せねばならぬとすれば、これが為に時間も体力も共に乏しく、とても自己本来の面目を発揮したり、他人の快楽に向かって寄与したりする余裕はない。
 で、適度の金銭欲は寧ろ(むしろ)一の道徳である。それは完全なる人間となるべき希望の現われであり、従って間接には、他人を埤益(ひえき※3)せんとする希望の現われでもあるのである。
 全て幸福は努力の結果であり、賢明にして統制ある五感的快楽の満足の結果であり、肉体の完成の為の体育的活動の結果であり、精神的開発に対する勉学の結果であり、又寛容性、博愛性のもたらす安心の結果である。で、これ等の発達を講ずることは、結局霊性の開拓ともなる。

 これを要するに、普通人にとりて、幸福なるものはその人の一切の才能、一切の力量──体力、感受力、精神力、霊力等の、賢明にして且つ持続的なる活用の中に見出さるるものと思えばよい。
 最後に、近代人としては、叡智の中にこそ人生の秘鍵(ひけん)、安心立命の秘鍵が見出さるると思う。信念、希望、仁愛──これ等の全ては、この崇高なる叡智の中に包蔵(ほうぞう)せられ、そして全ては、叡智の光によりて色彩を添えるのである。叡智の伴わざる信念にも、希望にも、又仁愛にも、そこに何等人を惹き付ける光はない。全て闇の中に埋もれているものが、健全なる発達を遂げることは絶無(ぜつむ)である。

 (評釈)例によりて穏健、周到、着実の議論、そこに一点の申し分がない。普通人に向かって、五感の適度なる満足を勧め、その天賦的特徴の発揮を勧め、更に身分相応の蓄財の必要を進める辺りは、甚だ(はなはだ)傾聴に値すると思う。かのいたずらに実行不可能の禁欲を勧める口頭説法程キザで、高慢で、且つ不健全なるはない。物欲の奴隷となるのは固より(もとより)唾棄(だき)すべきであるが、さりとて消極的の乞食生活、托鉢生活などを鼓吹(こすい)するに至っては、正に言語同断である。全て世の中は、霊と肉との七分三分の兼ね合い、賢明なる調節協調以外に健全なる道はない。その点に於いてマイヤースは立派に及第点を取っている。

※1【夫子】ふうし その当人を指す語。あなた・あの人の意。

※2【顧慮】 こ‐りょ
[名](スル)ある事をしっかり考えに入れて、心をくばること。「相手の立場を―する」

※3【裨益/埤益】ひ‐えき
[名](スル)助けとなり、役立つこと。

『永遠の大道』 ジェラルディン・カミンズ著
浅野和三郎 訳並びに評釈
発行所 潮文社 2005年6月15日 新装版
本書は、本文復刻版『浅野和三郎著作集』の一冊として四六上製版で昭和60年7月に発行されたものの新装版。
『永遠の大道』の復刻原本は、東京の嵩山房(崇山房)より1925年(大正14年)12月出版。


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浅野 和三郎(あさの わさぶろう) Wazaburo Asano.
1874年(明治7年)8月 – 1937年(昭和12年)2月

“The Road to Immortality”
by Geraldine Cummins
Ivor Nicholson & Watson, Ltd. (1932)
London, England

故マイヤース Frederic William Henry Myers(1843-1901)の霊魂がカムミンス霊媒を通じて行った自動書式通信。
近来の最も優れた霊界通信。
世界の霊界通信の至宝のひとつ。

第22章 幸福 普通一般の 男女に対して 幸福を論ずるにあたりては全てにわたりで 均衡の 観念を失わず人類が決して一列平等でない ことを 忘れてはならないこうに対していつまでも 変わらざる真の 喜びの種となる一つの生活が 乙にとりてはただ不満と 不幸との 源泉であるかもしれないのである 由来多くの学者たちは 幸福に尽きて 厳密周到なる法則を 規定すべく努力したのであるが 不幸にして彼らは 謝れる前提の上に 無益の ロープを重ねた恨みがある 人間の正常は 千差万別であるから いかなる 階級いかなる国民またいかなる男女を問わ ず自分の 提示する法則にさえ従えば 皆 幸福を見いだすことができるとは言えない それらの法則を自己の日常生活に 適応するには ある一部の個人また国民は 物質的には 精神的にも また心霊的にもまだ 十分発達を遂げていないかもしれない たとえそれができているにしてもそれ らの法則はこれを実際に当てはめてみると 単に 退屈の源泉であり 激しい 幻滅の種にすぎないかもしれない 一例を挙げれば キリスト教 並びに 仏教の神秘的 禁欲論者の 衝動をする 幸福への道はほぼ一致している彼らは 口を極めて 真の 幸福は決して 五感を通じて得られるものでなく また金銭や県政では

決して変われるものでないと教える彼らの 推薦するのは 完全なる放棄でありありとあらゆる種類の 富 権力美の軽蔑である彼らはいずれも口を 揃えて 真の幸福はただ制しないかん神との直接の 交通あるのみであるというつまり彼らは神 そのものは尊重するがしかし人間の五感を 喜ばせ人間の 欲望を満足させるべく神から 賜るところの一切の事柄は全部これを 軽蔑せよというのである 私の見るところによれば彼らの意見には 幾多の重大なる 抗議の余地があると思う 神秘家自身には あるいはこの種の内的生活が 唯一の真の幸福の種であるかもしれないが 百人中90人は神秘論者でも何でもない彼 らは月並みの平凡人であって右のごとき 韓国を実行に移そうとしてもとてもでき ない 素質を合っているもし強いてそんな真似を してみようものなら彼らはいたずらに自分 の正常を 狭め苦しめまた 歪曲せしむるだけである で普通一般人氏に対する 幸福は 節制国旗 及び自由などの言葉の中に見出されると 思う彼は何より先に自分自身を支配する ことを学ばねばならない 一旦その力が 習得されると 今度は続いていかに懸命に他人を支配し また 境遇を支配すべきかを学ばねばならない それで 初めて自分の自由が獲得される第二に彼は 自分というものが 広大無辺なる天地感の大機構の中の 極めて 微弱なる 存在であるかを知らねばならない 第三に必要なるは 添付的に自分に 備わるところの 特殊の 創造力を開発することである 一旦人間が自制の力さえ習得すればそこで 初めてある程度の心の落ち着きができてき て また他人に対する強制力が備われば

物質上の 損害または 欠乏などから 救われまた悪意を持っていろいろ 画策するものが現れても何とかこれを 切り抜ける道がついてくる もしそれ自身に対する 謙虚なる評価は自然他人との 折り合いを良好にしそれだけで 幸福の種子となるであろう 一時的にもせよ自己を忘れ 必要なる同情を他人に分かつ仕業ほど世に も麗しい仕業はないのである 次にかの 創造的本能 これは人間正常の外用部を構成するもので その 賢明なる 活用こそ 彼にとりて何よりも重要なる 業務の一つとなるのである この本能はある程度性的 刺激に起因する が生徒 離れた仕事の上にも働き これが最大幸福のもととなることがある その人の性的生活が何であろうとも彼は すべからく何らかの方法で 創造的本能のはけ口を求めるが良い よし彼が一つの個性的 想像力の所有者でないとしても 絵画の岩礁とか山水の田んぼとか ともかくも何者かの上に事故の 創造的本能の 満足を求め 自己の 快感に 適当の 快楽を与えることができるが何より 幸福なのは 真の創造力と同時に 適当の自制力をも兼ね備えた人たちである 表現すべき 媒体の高下などは少しも問題とするには 足りないその 楽しみたるやまことに言うに言われぬもの があろう他の 禁欲論者は皆 口をそろえて金銭を 軽視すべく 諸君に教えるであろうが実は風刺自ら金銭 状に 捕虜を要請の連中なのである かの友人または崇拝者が必要 品の全部を供給するとか

親譲りの立派な資産があるとか 禁欲者とは対外そんな 境涯の人たちだと思えば良い カルがゆえに自分としては 幸福を 求むるものに向かって 金銭に対する 適度の尊重を力強く 忠告するものである 金銭がなければ 餓死するか少なくとも非常なる 肉体的 欠乏または不愉快極まる 衰弱を余儀なくせられ 肉の宮に 沈まれる 魂の光を 十分に 鉢をせしむることはおぼつかない彼は もはや自由の身ではない なんとなれば彼は時事刻刻カマビス式 肉体の要求から 苛まれる 憐れむべき身の上であるからであるまた彼 がはっきりで長時間 労役に 伏せねばならぬとすればこれがために時間 も体力も共に乏しくとても自己本来の 面目を発揮したり他人の快楽に向かって 寄与したりする余裕はないで 適度の金銭欲はむしろ一つの道徳である それは 完全なる人間となるべき 希望の表れであり 従って関節には 他人を悲劇せんとする 希望の表れでもあるのである 全て 幸福は努力の結果であり 懸命にしてどうせある 五感的 快楽の 満足の結果であり 肉体の 完成のための体育的 活動の結果であり 精神的開発に対する 勉学の結果でありまた 寛容性博愛性のもたらす安心の結果である で彼らの発達を講ずることは 結局冷静の開拓ともなるこれを要するに 普通人にとりて 幸福なるものはその人の一切の才能一切の 力量 体力感受力

精神力 霊力 等の 懸命にしてかつ 持続的なる 活用の中に見出されるものと思えばよい 最後に金大臣としては 英知の中にこそ近代人の危険 安心立命の 危険が見出されると思う 新年 希望 迅雷これらのすべてはこの 崇高なる 英知の中に 創造せられそしてすべては 英知の光によりて色彩を添えるのである 叡智の 伴わざる信念にも 希望にもまた 陣愛にもそこに何ら人を惹きつける光は ない全て 闇の中に埋もれているものが 健全なる発達を遂げることは皆無である 評釈 霊によりて穏健周到着実の議論そこに一点 の申し分がない普通人に向かって 五感の 適度なる満足を進めその 添付的 特徴の発揮を進め さらに 身分相応の 蓄財の必要をすすめるあたりは 甚だ 慶長に値すると思う かのいたずらに実行不可能の 禁欲を進める高等説法ほどピザで 高慢でかつ不健全なるはない 物欲の 奴隷となるはの 奴隷となるのはもとより 抱きすべきであるが さりとて消極的の 古事記生活 托鉢生活などを 固執するに至ってはまさに言語道断である すべて世の中は 霊と 肉との七分三分の兼ね合い 懸命なる調節強調以外に 健全なる道はないその点において 毎朝は立派に及第点を取っている

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