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『幸福への道標』
第一部 第2章 プライドと自己顕示欲
00:00 1 プライドと自己顕示欲の違い
02:26 2 自己顕示欲の三つの視点
05:59 3 自己顕示欲の根底にあるもの
09:28 4 自己顕示欲を解決する方法
12:30 5 「分福」「植福」「惜福」の考え方
16:09 6 人を生かす分福の仕方
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第2章プライドと自己検事 欲1プライドと自己検事欲の 違い本章ではプライドと自己見事欲という テーマを中心に話してみたいと思います これは両者とも現代人にとって特有の悩み とも言えるのではないでしょう かしかしプライドと自己検事欲については 一般的な道徳論であるとか数年であるとか いう形である程度の観念が出来上がっては いるでしょうが仏法心理的立場から見て どう評価されるのかについて明確な回答が なかったと思い ますそこで私はプライドと自己検事欲を ちょうど魚を真板の上に乗せて料理をする がごとく解剖し分析してみたいと思い ます最初はプライドと自己見事欲が同じ ものであるかどうかというところから考え てみますもちろんこの両者は重なり合って いるところがありますそして同じような 言い回しとして使われる場合もあります しかしあえてその違いを上げるならば自己 見事欲を良いものであるという人は珍しい でしょうがプライドはそれがプラスに働く 場合とマイナスに働く場合の両方があると 言っても良いかもしれません例えば名を なした人優秀な人はそれぞれ必ずプライド を持っていますそしてそれ自体は悪いこと だとは言えないと私は思い ますただこのプライドには不当なプライド すなわち他の人から見て正当だと思えない ようなプライドがあってそれが他の人に 押し付けられてくる場合それを自己検事欲 というのではないでしょうか従って正当な プライドすなわちその人の地位年収現在の 立場や仕事相応の正当なプライドはある 範囲内で許されることであるしそれが人間 として当然持つところの生害あるいは自己 実現欲求を叶えていると思い ますしかしそれがどこした時には自己見事 欲となり他の人を苦しませまた自分をも 大いなる苦しみの縁に引きずりこむことに なるのではないでしょうかそのように私は 考え ます2自己検事欲の3つの視点 従ってあくまでも問題はこの正当性の ところにあるのではないかと考えられるの ですそしてこの正当性を考える場合には どうしても発症動で言われるように事故の 客観視の問題が出てきます自分が自分自身 を正しく客観的に見ているのか他の人から 見て自分がどう見えるのか自分は他の人を どう見ているのかこうした3つの点検作業 ががその背後にはあると思うの ですそれゆえにプライドが自己検事へと 転嫁するか否かを見極めるのにはこの3つ
の視点を常に持たねばなりません自分自身 による事故の客観視他人による事故の評価 を冷静に見る目事故が他人をどう評価して いるかという考え方 です例えばまず1番目の自分が自分をどう 評価しているかということを考えてみると 自分が自分を評価しているとそれは肥大化 したプライドとなり自己持欲になっていく はずですこれは誰でも考えれば分かること です2番目の他人の自分を見る目にも両極 端があると思い ます他人が自分を見ている目評価している 目批評する目が自分にとって非常に不都合 に見えた場合すなわち事故への評価が不当 に低く感じられる時人はそれを跳ね返す べく自己検事欲を打算とし ますまたそれとは逆に他人が自分を評価 する場合のその評価があまりにも高すぎた 場合それを自分の実力だと誤解して独特の プライドを気づくこともありますそして これが他の人には自己見事欲のように 見えることがあり ます3番目には自分の他人に対する評価 ですが他の人の良いところが見えない タイプの人すなわち他の人が皆低く見える 人は存在になっていくでしょうそして自分 が自分がという気持ちが強くなっていきど すぎたプライドがそこに出現するという ことになってくるのではないでしょうか 他人が低く見えすぎる人ですこれは相対的 に自分が上がりすぎていると言っても良い でしょうまた他人が高く見えすぎる人の 場合はもちろん劣等感を生むことになる わけですこの劣等感が単に劣等感として 静かに受け入れられるならば良いのですが 何クソという気持ちあるいは人に負けたく ないという気持ち反発心反抗心を 呼び起こすとなるとこの劣等感を 埋め合わせるだけの言動を取るようになっ てき ますそしてそれがはめにはその人らしから ぬ言動あるいはその人の文を超えた発言 行動と移り自己堅持欲が強いと言われる ようになりますこのように単に自己権持欲 と言ってもこれは自己の評価が正当である かどうかの極めて私立な戦いなのです人間 は一生涯の間自分の値打ちとは何かという ものを見定めるために日々努力しある意味 では戦っているわけ ですそれゆえにこの問題が人間にとって 極めて本質的で逃れることのできないもの となっているの です3自己検事欲の根底にある ものしかし自己検事欲そのものが悪い あるいは自己権持欲の母体とも言える
プライドの部分そのものが悪いとは必ず しも言いきれない部分があり ますそれはこの大自然の世界を見てもその 通りですあらゆる動物あらゆる植物を見て も悪く取れば自己堅持欲があるように見え ます魚でもそうです 自己検事欲は見っているように見えます また鳥や花でもそうです花は美しいと言わ れますがあの色とりどりの花を見てみると やはり美しさを競い合っているように見え ますそういう点はあるでしょうまた動物 たちも強さを競い合っているところがある ように思い ますこうしてみると自己権欲の根底には 進歩の原理とも言うべきものあるあるいは 進化の原理とも言うべきものがあると 思えるの ですすなわち自己権持欲の根底にあるもの は人間の伸びていかんとする欲求なのです 絶えず絶えず伸びていこうとする欲求絶え ず絶えず大きくなっていこうとする欲求 絶えず絶えず自己を拡大していこうとする 欲求に自己検事の根というものが見つかる の ですそうしてみると人々が自己堅持欲を 嫌う理由あるいは自分自身自己権持欲を嫌 なもの恥ずかしいものと思う理由が見えて くるように思い ます個人個人が無限の可能性と成長を 目指して生きていくこと自体は宇宙の法則 にも叶い素晴らしいことなのですがなぜ 自己見事欲が嫌われるのかと言うと自分が 限りなく伸びていきたいように他の人も また限りなく伸びていこうとしているから です自己見事欲は結局のところ他の人との 関係において生じるものだと言いきれるの です例えば背の高い木や草が生えるとその 下にあって日の当たらない草が出てきます 日が当たらないことによって彼らの成長は 遅くなります人間の場合もこれと同じよう なことがあるのですそれぞれのものは伸び ていきたいのですがあるものがあまり 大きく伸びると他のものが日陰になって しまい太陽の光が当たらないという現象が 出てき ますすなわち進歩と調和の告 です進歩と調和これはそれぞれ違った ベクトルを持っています進歩とは縦の ベクトルであり限りなく上に伸びていこう としますが調和とは横のベクトルであり他 のものとの関係の調整を目指しています この進歩と調和とは一件I矛盾するもの ですがこの一件I矛盾する2つのベクトル を上手に合成しながら大宇宙を美しいもの として素晴らしいものとして発展させて
いこうとするところに仏の願いがあるの ですそれゆえに自己権持欲の強い人に対し ては他の人からの批判嫉妬やかこういう ものが常につきまとうわけですそれは自分 だけが伸びて他の人を日陰に置こうとする その気持ちが反発を招くからだと言える でしょう4自己検事欲を解決する 方法これでなぜ自己検事欲が問題とされる のかその意味が分かったのではない でしょうかすなわち他の人の成長を阻害 する内容がその中に入っているからなの ですそうすると自己権事欲を解決するため の方法は2種類しかありません1つは あまりにも調和を無視した進歩が他の人を 害しているのですから進歩そのものの速度 をゆっくりとしたものにするという考え方 ですもう1つは1人の進歩が他の人の対価 あるいは停滞にならないように同時に他の 人をも押し上げていくための工夫努力を 怠らないという考え方ですこの2つが要点 だと言え ましょう従って取り立てて他の人との人間 関係を良くするための義法を持っていない 人であるならば進歩が目立ちすぎる あるいは他の人の目を害しすぎると思う時 には謙虚に謙虚に構えていくことが大事で あろうと思い ますすなわち得意にならず自分の成功を 不調せず静かに静かに天をまするがごとく 伸びていくこれが大切なことです真に成功 の段階になると人々は科目になり沈黙し がちであるのもこのことであると頷けます 本当に伸びていく時には人々はは言葉少な になってきますそして静かになってきます そういう時が実は成功する時であることが 多いの ですところが成功する時に饒舌である人 これは大抵敵を生みますそして何かの邪魔 を待っているかのように見えます自分で 自分の成功を阻害したいがごとく多弁と なり能弁となり饒舌となって他の人々に 嫉妬されんとするように見えます こうして自ら成功の目を積んでいるように も見えますこういう人はい ますしかし真に成功する人はいつも静か です静かで速やかで人が気がつかないうち に成功を仕上げていきますそういう姿勢が 大事だと私は思い ます自己見事欲の持つ毒素を弱め悪を 抜き去るためのもう1つの義法はなんと 言っても他のの人のために尽くすという ことだと思います縦のベクトルがあまりに も強すぎて横のベクトルを忘れている状態 なのですから自分の進化発展に伴って他の 人を限りなく良くしていこうという願いを
持つこと ですこれについては私もすでに述べたこと があります幸福の種を自分だけのものとせ ず他の人のものとしていくことですそう いう考え方がとても大事であると思います 5分服食福石福の考え 方まず自分がある程度の成長をし成功を 納めたと思うならば次にすべきことはこの 幸福の種を次第に広げていくこと ですその1つは自分が幸福の種を両手 いっぱいに持ったならばその一部を他の人 におっ分けしてあげることですそういう 分服の姿勢が必要であろうと思います服を 分かつということですこの姿勢が大切 ですまた現在の一時的な成功これを良しと するのではなくて将来にわる発展繁栄を 願うべきですしって現在のその豊かさと 幸福を満喫し尽くすのではなくその一部を 将来のために残しておくあるいは将来への 種まきとしていくそういう先行投資に使っ ていくという考え方があると思いますこれ は食福という考え方 ですさらに杉なる服の考え方として石福と いう考え方があり ます服を惜しむということ です自分が幸運な結果を手に入れたり大 成功を手に入れたりした時にその服を全て 公開し見せびらかし自分は成功したのだと 不調し満面に喜びを称えて言いふらして いると その人の特性が次第に下がってきます そして人から疎まれるようになってき ます服を惜しむ石福という考え方は せっかく入ってきたその成功を指の隙間 から逃さないようにざから逃さないように 大切にする考えです田川竜之助の短編小説 の中に都市春という作品がありますこれは 中国を舞台にした物語ですある仙人に宝の あかを教えられた都市春がそこを掘って みるとザクザクと宝が出てきたところが彼 が宝を手に入れたということを聞きしって 彼の友人たちなど色々なものが集まってき て彼の触覚になるそしてのめや歌えが続い て3年経つとまた元の木編になるこういう 話 ですすなわち人は身分不相応な富を手に 入れるとどうしても大番ぶる舞いをして しまいそしてまたすぐ元の通りになって しまうのです成功した時には周りの人がお 追しを言ったり日頃は友達でもなかった ものまでが急ににわかな友達になったりし て色々とよってきては甘い汁を吸います そしていつの間にかその富はなくなって いくの ですこういうことがありますまさしく石福
という考え方を知らなかったと言ってよ でしょう思わぬ大金が入ったり思わぬ成功 を納めたりした時にはそれをそのまま全部 使ってしまわないことが大切だと思います そのうちの一部は大切にしまっておくこと ですそして自分が使って良いものはこの 程度だというように考えその範囲の中で 消費活動あるいは富の使用を行うべきだと 私は思い ますこれが分服食福石福という3つの代表 的な服についての考え方ですコダロハなど はこういう説を唱えていたと思い ます6人を生かす分服の 仕方さらに付け加えるとするならばやはり 分服の考え方の中にもう少し発展形式が あると思いますすなわち自分の中に入った 富を他の人におっ分けするというだけでは 不十分でありその分服の中に他の人にとっ ての食福すなわち将来への投資となるよう な部分を持っていなければいけないのです お金の一部を出したり成功のおぼれを与え たりするだけではなくてそれを与えられた 人が自序努力によってその後素晴らしく なっていけるような道を開いていかなけれ ばなりません1人がお金持ちになれば他の 人もそのおっ分けでお金持ちになる1人が 出するとその七光でその周りにいる人も光 出すこういうことはありますが自らの力で なく光っている場合にはやがてその光は 薄れ影が忍び寄ってきます必ずそういう 時期が来ます自分の力ではなく他の人の 七光りやおっ分けで光っている場合には 必ず限りが出てきますそういうことは真実 として必ず起きてくるの ですそれを起こさないためには単に服を 分けるだけでは足らずさらに食福の部分 すなわちその人が将来1人で立っても十分 に光を放っていけるような自序努力の精神 というものを教える必要があるの ですそうでなければそれはやがて分服した ということがその人にとって災いをきたす ようになり ます一度そのような甘い思いをし甘い汁を 吸ってしまった場合にわかな成功安易な 成功を知ってしまった場合どうなるかと いうとちょうどかがいつも他の動物の血を 盗みに来るように自分で働かずして血を 抜くことを考えるようになってきます そしてそれは全と有意な人たちをやがて 堕落させていくことになり ますそこで大切なことは服を分け与える時 の精神だと思います事故の罪悪感のみで 自分だけが偉くなってはいけないからと いうようことで他の人に症を与えるだけで はダメなのですその結果その人が良くなる
場合と悪くなる場合の両方があるの です従って必ず各人の能力相応にやがて その人が伸びていけるような道を用意して あげるべきなの ですところが自分が偉くなったので周りも 偉くしてあげなければいけないAさんが 偉くなったのでBさんもCさんも同じよう に使ってあげないと嫉妬するだろうなどと 思って引き立てるというようなことばかり を考えていてはやがては次第にそれらの人 たちが身を持ち崩すことになり ますこの点ではやはり感情的なものは少し 抑えて理性的に知性的に物事を考えていく 必要があると思いますそれが長い目で見て 人々を生かしていく道なの です肝心なことは決して道場主義や中で 主義に陥ったり傷口をなめあうような愛を 与えたりすることではなくその人に常に 本来の自分というものに立ち返ってその人 なりに素晴らしくなっていける道を教える ことではないかと思い ます悪というものは本題ないと言われます 本題ない悪はその人の立場やその人の置か れた場所人間関係時間こうしたものの不 調和によって悪として出てき ますし 特にこれから成功を手に入れようとする人 またまさに成功を手に入れた人はそれで右 頂点になってしまわずその富や成功を 分け与える点において無気動になって しまわないことが大事であると思います そして真に多くの人を生かしていく努力が そこに必要とされるのだと私は考え ます
8件のコメント
過ぎたるは及ばざるが如し
実るほど頭を垂れる稲穂かな
日照権の問題
欲が大きい人は、抑え欲が少ない時は、促進する。
落語の芝浜のように。
「ヨイショ」する方も、される方も責任がある。
朗読ありがとうございます。感謝です。😊
🎵No.1にならなくても良い、元々特別なONLY1🎵