第87話『ものの道理と塵袋』➖87th story『Reskilling from Japanese old book “Dust bag”』
(前略)
単刀直入に言って,孔子を引くのであれば,3回までは引いてよいだろう。3回中2回の運勢で占うべきだろう。このことは道理のあることである。この籤を3回引く事の詳細な説明は後ほどに回そう。
(中略)
菅原道真氏は日食を知っていたと思われる。
京房によると,日蝕とは,晦日(ミソカ)と朔(ツイタチ)に起こる。それ以外の日程で起こるものは薄蝕(ハクショク)という。
菅原道真氏が左遷された際に詠んだ次の歌が柳田国男氏が愛読されたとされる塵袋に掲載されている。
海ナラズタタヘル水ノソコマデモ
キヨキ心ハ月ゾテラサン
この海ではない水は何のことを指すのかという問いに塵袋の筆者は次の趣旨の回答をしている。
池の水や沢の水ではない。
ここで歌っている月は,世の常で言われている月ではな.い。実のところを言うと,郭公の一声で一夜が瞬く間にあけてしまうことはないとまで伝えている。
菅原道真氏の詠んだこの歌がいかに美しいものか字面を読む以上に現代を生きる私たちは感じることができるだろう。
風が吹けば桶屋が儲かるとは,風が吹き,塵が舞い,失明者が多くなる。当時の失明者は按摩か琵琶弾きになるとされた。
琵琶弾きが多くなると,楽器の琵琶に狸(タタケ)の皮を用いるので,市中から狸がいなくなる。狸がいなくなると猫を天敵とする鼠が増えて,鼠が桶を齧る。桶を新調するので桶屋が儲かる。
そんなはずはないかもしれない。
君子之徳風也。
日蝕を直視すると失明し,盲になってしまう可能性があるということはものの道理として抑えておくべき点だ。盲目の盲とは目が亡くなってしまうのであって,砂埃が舞って開眼できない場合と同様目の前が見えなくなるのであり,人が亡くなるわけではない。
江戸時代には桶に水を張って水鏡とした方もいた様子である。相撲節の際に久しく雨が降っていない場合の土埃よけに用いられたとされる耳桶も水鏡として使われたかもしれない。乾燥した土俵では水をかけておかないと風が吹いて砂埃が舞ってしまう。相撲好きの織田信長氏は日蝕を見るにあたってのこのあたりの事情は抑えていたのだろう。
耳桶よりも後に手桶という言葉が辞書に現れてくるのは,室町時代であり,風で海水が揺れていたり,貯水池が波打っていたりしては,日蝕の様子を具に観察することはできないだろう。逆に,風が吹いていなければ桶がなくても観察できてしまう。
水鏡にしたところで,太陽光は強いので,当時は水に塵を入れたか,泥を入れたか,墨汁を入れたかで光を和らげた事だろう。その水に映る月の心は,和光と言えるかもしれない。
キヨキ心ハ月ゾテラサン
日本では,年末年始に神社仏閣へお参りするということが古くから行われている。第83話『時を超えて本能寺が変〜日食を肉眼で直視してはならぬ〜』にて,鬮のお話をした。信長公記によると,天正10年5月28日日向守光秀氏が愛宕山でお参りして,䦰を2,3とっている。当時は籤を引くのではなく,とるといった。2,3とるとは,どういうことか。籤は一回のお参りで一度だけではないのか。といった疑問が視聴者の皆さまのコメントになかった。
もし,子どもが籤を引いて,もう一回引きたいと言われたならば,現代を生き抜く教養人はどのように回答すべきか。
「孔子」(くじ)
孔雀の孔に子どもの子と漢字で書いてかの有名な孔子(コウシ)とも読める。子どもの子と書いてシと読み,先生の意味だ。つまり,孔子と書いて,孔先生という意味である。ここでは名高い孔子と書いてクジと読ませていただく。孔子と同じ漢字で画数の多いクジの字(籤,鬮)の宛字として当時は通用していた。
鎌倉時代に成立したとされる「塵袋」,その「塵袋」の内容を添えた室町時代に成立したとされる「塵添壒嚢鈔」が室町時代の人々の教養の書として扱われていたようだ。
平家物語は,鎌倉時代に成立したとされ,当時の教養が散りばめられている特質上,その著者も「塵袋」を読み書きした可能性は否定できない。その当時も「塵袋」の題名を「塵袋」と言ったのか定かではない。
その「塵袋」に,次のような記述がある。
〜孔子ハ,一度ニモカギラズ,三度トル事モアルハ,何ノ心ゾ。〜
私の現代日本語訳による回答は次のようなものになる。
決定的に信じられるように籤を3回引くのだろうか。礼記では,占いは3回までと言われている。儒家の経典である尚書では,3人が占う時は,2人の占いに従うと言われている。礼記の説にのっとって,三回までは,籤を引くべきだ。
このような趣旨の記述をみるにつけて,子どもには,3回までは籤を引かせて,多数の籤の記述によるべきではないかと私は思う。
因みに,私は異なる機会に3度神社仏閣へお参りし,籤を引いて,3回連続で大吉を引いたことがある。この少子高齢化の時代,一度に一回籤を引いた結果をみて,一喜一憂できるだろうか。
風土記の前の塵袋に同じ。
〜「和光」神ヲ和光同塵トイフハ,内典ノ意ニテ云ウ歟。〜
神を和光同塵というのは,仏典の意にかなうものなのか。
私が和光に関する回答を現代日本語に訳すと次のようになる。
老子,つまり老先生は次のような趣旨のことをおっしゃっている。
神のその光を和らげて,その塵,つまり俗世間と同じである。
このことは,老先生がおっしゃっており,仏典を見るまでもないか。
この記述から「塵袋」の筆者は,中華思想,道教を旨とする人物であることが窺える。また,仏教を中心とした問いの立て方をしている面で,当時も日本の社会通俗的に道教よりも仏教が浸透していたと見える。
風土記は,奈良時代の地方文化や風土を記録し,天皇に奏上された。
塵袋を土台として平家物語を描いたならば,どのような作品に仕上がるのか。
平大納言時忠卿にして,「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」と言わしめた。
つまり,平家の一門にないものは一般の規律,基準から外れていると言っている。道理のない者たちという事である。そのようであったので,どうにかしていろんな方々が平家と縁を持とうとした。
虱の子ヲバ,キサ、と云フカ,キサジと云フカ。
虱の子の読みに関する記述では,風土記というのは田舎のことを田舎の言葉で書いているので鹿児島では,キサシンと言っているといった旨の記述がある。
塵袋の塵とは糞などのごみと捉えても差し支えないかもしれない。林檎に関して,「リンゴウ」と読む向きが出てきていると記されているが,現代で,林檎の漢字を「リンゴウ」と読む方はいないだろう。
皆,一緒に田舎者になってしまった心地か。
諡号という言葉に関しては,大師号ということばはないと塵袋に記述がある。大師の上に諡号をつけて弘法大師とも伝教大師ともいうとされる。
達磨と書いてダルマともダラマともダツマとも読む。数珠の大玉もこれだ。
奈落とは天竺の詞で地獄のことであり,天竺では,刹利は帝王,波羅門は大臣,毗舎は商人,輪達羅は農民といった誰でも。貴賤に関わらず,理を知らぬものは入っていくといった趣旨の真如親王の歌が掲載されている。弘法大師は。天竺の詞で怛他誐多(タタギャタ),ここでいう如来の境地に達するとした。真如親王は大師のお弟子であり,出家している。天竺に渡って,羅越国,今のシンガポール付近で虎のために食べられてしまった。大師の2字は,入定後に残された弟子が師を大切にする詞である。諡号というのは,死後のおくり名のことであったが,現代では諡号の意味にある程度幅が持たされていると考えても差し支えないと私は思う。そうでないと大師号ということばはないという点に矛盾が生じてしまう可能性がある。大師は入定したのである。
福餅の項目で餅は幸福の源なので,年始には特別に扱われるべき旨記されている。カビの生えていない状態であればということだろう。餅を弓の的にしていたところ白き鳥になって飛んでいってしまい荒廃の地となってしまった旨の記述がある。
丹鳥の項目で,羽を持つものは鳥云々。大戴礼(ダイタイレイ)によると白鳥と漢字で書いてあるのは人をくらう蚊のことであるとあり,カビの生えた餅で蚊に刺されたような皮膚病にでもなってしまったのかもしれない。黴な食は慎むべきだと私は思う。
本の題名を塵袋と筆者自身が名付けたとしたならば,この書の内容が現代では田舎訛りになってしまう可能性を予見していたのだろうか。オリジナル書物は,重要文化財に指定されている。
引いた籤を神社仏閣に結びつける風習は現代のトレンディドラマの影響によるだろうとある神主から伺ったことがある。今年,持ち帰った籤は正月には神社仏閣で奉納しよう。
さて,お正月は福袋をあけようか。
(Aden’s English)
Hello, world.
I’m Aden.K.
I introduced a part of Japanese old book “Dust bag”.
We should communicate each other to protect your own culture.
Many Japanese would celebrate new year in Temple or Shrine.
Some of them would draw a fortune slip.
Is it okay to draw more fortune slips.
It written in “Dust bag” “CHIRIBUKURO” that “Yes, you could draw fortune slips up to 3 times in a raw to confirm your fortune.Probably, your fortune is 2 of 3 fortune slips.
I think that Mr.Sugawara no Michizane is a man who would know how to see solar eclipse.Solar eclipse would happen on first or end of month in moon calendar.
I expect that he would use water in bucket, thus water mirror to see Solar eclipse.
海ナラズタタヘル水ノソコマデモ
キヨキ心ハ月ゾテラサン
See the moon in the bottom of water by having pure heart.
It isn’t water in the sea or pond or stream.
So, I think following.
Would I watch water in bucket with dust on solar eclipse day?
I think even water mirror would strong for me in front or back of Sun to see moon.
We would correct each other.
Educated person could observe sun eclipse.
They would tell someone without knowledge “Don’t see sun eclipse without knowledge to soften strong sun light or you would lose your eyesight!”.
See moon.
Ladies and gentlemen, this movie was recorded by Aaden.K Aaden.K.
1件のコメント
大凶や凶を引いてしまった時には3回引きます❣️
でも大凶、凶は引いたことありません🙋♀️