後の滅亡の歴史に関する戦場解説動画です。

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#歴史解説 #三国志

35件のコメント

  1. さすが司馬師、すべての責任は自分にあるとは偉い人ほどなかなか言えないよね。責任をもって司馬昭を……んっ?

  2. この解説の中では触れられていませんでしたが、ウィキペディアなどによると、廃位された第二代皇帝孫亮は廃位後会稽王に落とされ、さらに孫琳誅殺後に「現皇帝の孫休(孫亮の異母兄)に取って代わって皇帝に復位しようとしている」と讒言されて侯官侯に落とされて任地に向かう途中に自殺しています(兄である孫休に毒殺されたという説もあり)。

  3. 豪族皇后を立て続けた後漢は外戚が跋扈し、その反省で曹丕が非豪族皇后を立てたら外戚が弱体化し権臣の台頭を許し、
    孫権も非豪族皇后を望むも、群臣と息子の反対で皇后空位が続いて結果的に後宮の混乱を招き、各派閥と結びついて二宮の変になったのに比べると、蜀漢の安定感が際立つ

  4. しかし、諸葛亮の死後はホントに内紛ばかりで、敵国への侵攻が見られなかったですね。
    しかし呉の丁奉は孫権時代から長らく呉に仕えて、各地で戦果を上げてましたね。さすがの呉の重鎮達も手は出せなかったでしょう。
    自分も正史で読みましたけど、あっけない最期ですねぇ。🤔
    丁奉、陸抗が居なくなったら、そりゃあ呉には人材はもういないような気がします。😭

  5. 父、孫和が置かれた境遇が結果、孫晧の人格を歪めたことに繋がっただろうから、やはり二宮の変がすべての元凶か

  6. 羊祜が重要人物って紹介したのに善政というふわっとした説明以外は救援失敗して病死しただけのやつになってる

  7. 歩センの反乱は三国志の戦いの中でも屈指の面白さなのでここでも詳しく解説して欲しいですね
    まあ歴史の流れ的にはほぼ何の意味も無かったんだけどね!

  8. 呉への侵攻はもはや戦いと呼べるようなものではなく
    王濬率いる艦隊と晋の軍勢の前に、孫氏政権に愛想を尽かしていた豪族たちは我先にと雪崩を打つように投降。
    諸将が逃亡する中、張悌だけが最後の意地を見せたが相手にもならず全滅。
    建業防衛のため集められた2万の兵士は、敵を目の前にして全員逃亡するというありえない事態に。

  9. 魏・呉・蜀の三国とも最終的は滅んだが、一番しょうもないのが呉、君主の耄碌とその娘の讒言と後継者争いの全部がミックスして全て悪い方に向かってしまった

  10. 天下統一の10年後に八王の乱が起こってまた分裂するのがやるせなさがヤバい

  11. 呉攻撃に加わった司馬伷の子孫は司馬睿…のちに滅んだ晋を建業で引き継ぎ、東晋として存続させた人物。呉を滅ぼした人物が呉の地盤を引き継いだのであった。

  12. 未納の税金免除はすごいな・・・・・まぁ取り立てられる見通しがないから現実味をとったのか

  13. 呉は紀元前、九州移民が土人を従えて始まった国です。
    紀元前200年ごろ、今の浙江省に突然、変な言葉を喋り、造船、青銅加工に長けた集団が現れたので外から集団移住があったとしか考えられない。 当時その技術があったのは大和民族しか確認されていない。
    これは珍説ではなく中国の歴史界隈ではド定番の説です。

    19世紀までに日本に伝わった大陸文化はすべて東南中国で一度ガラパゴス化した “呉文化”
    なので稲作も仏教も陶芸も呉服も “逆輸入文化” なんです。
    空海も最澄も浙江省福建省から西には行ってません。

  14. 諸葛一族の3兄弟は若い時めちゃくちゃ苦労したから人間できてたんだろうなー。能力も抜群だけど何より忠誠心が高い、苦労して時に拾ってもらったからめちゃくちゃ恩を感じてたんだろうね。

  15. 一人の女によって国家がガタガタになり、暴君となった呉が滅んで天下を平らげた晋がすぐに一人の女によって崩壊どころか世紀に渡る騒乱期を呼び込むのはまた別のお話…

  16. 孫権自身も豪族連合の盟主という立場から皇帝という絶対権力者として豪族たちに対抗出来る基盤をしっかりと確立したかった気持ちはあったんじゃないかなあ。

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