今回は瀬名の生涯と家康と仲違いした理由を深掘りしていきたいと思います!
2人の仲を引き裂いた3つの悲劇とは?
家康の苦渋の決断までの過程を丁寧に解説していきます。
※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。
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0:00 オープニング
0:29 家康と瀬名の仲違い
1:23 家康と瀬名の結婚
3:06 今川氏から独立
5:50 家康は浜松 瀬名は岡崎
8:38 瀬名と信康の死
12:13 参考文献のご案内
12:23 ライブ配信のご案内
についてお話しています!
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黒田基樹『家康の正妻 築山殿』(平凡社新書)
築山殿(ドラマ名:瀬名)の動向を詳しく追った新書です。築山殿の同時代の記録は1点のみであり、限られた史料を精査して彼女の生涯をたどっています。信康事件も詳しく言及されているので、信康事件を詳しく知りたい方にもオススメです!
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柴裕之『青年家康』(角川選書)
家康誕生前の松平家から竹千代時代、松平元康時代を詳しく取り上げています。竹千代は今川家の人質ではなかったなど「どうする家康」で描かれる前の時期の話がほとんどなので、ドラマの前提知識として知っておきたい人におすすめの1冊です。
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小林雄・柴裕之『図説 徳川家康と家臣団』(戎光祥出版)
家康の最新研究の成果も踏まえた概説書です。戎光祥出版の図説シリーズは良書が多く重宝しています。この1冊を読み通せば「どうする家康」の予習はある程度網羅できると思います。
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■今回の時代のキーワード
#どうする家康 #大河ドラマ #徳川家康 #瀬名 #築山殿 #桶狭間の戦い #今川氏真 #松平信康 #大岡弥四郎事件
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32件のコメント
【お詫びと補足解説】
4:23 今河義元→今川義元 ※変換ミスです。気づかず申し訳ございません。
5:58 家康が浜松城に移ったのは1567年です。
①関口氏純は第6話の段階では殺害されていません。こちらは2/14のライブで詳しく解説します!
②信康事件は信康と妻の五徳(信長の娘)との不和なども指摘されていますが、話が複雑になるので割愛しました。
信康事件の解説で詳しく紹介しようと思います。
恐らく名門今川の親族つまり
今川としてのプライドが邪魔をしてああ言う結果になってしまった
築山殿たちとの確執もさることながら、父家康に愛されなかったと言われる秀康がどのように描かれるかにも関心を持たずにいられません。
歴史は勝者の物です しかし瀬名・信康・そして今川氏真様の名誉回復となる(歴史資料)が、新たに発見される事を、願っています
今日も解説ありがとうございます😄
今日のどうする家康、甲賀の忍びもでてきましたね 上ノ郷城の落とし方はかなりフィクションはいってそうでした😅
信康事件の史実は信長のせいというわけでもなかったのかな?
なるほどー、史実の動画 ありがとうございました。
しかし、あれだけ 大河ドラマでは 仲良しの夫婦二人なのに 、気持ちが離れて 、家康が 秀忠が産まれた事で、信康を自害に追い込んだとは なんとも 残酷ですね😭
築山殿と信康の事件、多くのドラマでは、五徳の信長への手紙により、信長の命令で家康が泣く泣く2人を殺したと描かれてます。最近では史実と違うといわれているようですが、今回はどのように描かれるのでしょうか?築山殿も気が強い女性と描かれます。有村架純さんの瀬名は優しく可愛らしいので今後の運命を思うと、気の毒になってしまいます。
このドラマのことだから史実通りイベントこなすけどその経緯は歴史や研究に追随するとは限らない思う。
信康、築山殿殺害事件は、不思議ですね。あれほど何事にも慎重な家康が、世継ぎとなる秀忠が生まれたからといって、あっさり信康を切ってしまうのは、納得できません。生まれたばかりの子供がちゃんと成人するかどうかも分からない段階では、一人でも多く自分の子を残しておきたいはずです。後に秀忠が不甲斐ないのを嘆き、”信康が生きていたら!”と言ったというエピソードからも、かなり期待していた息子だと思われます。武田氏、織田氏との関係など絡み合って、かなり複雑な要因がありそうですね。また近づいたら、詳しい解説もお願いします。
浜松城は、子どもの頃の遊ぶ場所の1つ😆近くに動物園もありましたよ😄卒業した小学校は、今年大河ドラマ館になりました😆
古いのかもしれませんが、信長の命令で信康と築山殿を処分したのだと思ってました。瀬名の母が今日の放送で命をかけて守る時が来ると言ってたのが伏線かなと。ドラマではずっと仲良しのままで終わらせる気がしてなりませぬ。
ありがとうございます
14日21時楽しみにしています。瀬名の母も元より瀬名も子供の為なら命も捨てる、母の愛の深さを思い知りました。
忍びの者、活躍しましたね。
自害にしろ殺害にしろ、「夫婦間で政治闘争が起こって正妻が死んだ」戦国時代の事例は、私の知るかぎり築山殿(瀬名)だけです…
江戸時代の史料で「信長の命令でしかたなく」とか「築山殿が不倫していたから」というのは、家康の「正妻殺し」の汚名払拭が目的のように感じますね
瀬名役をフワちゃんに代えて欲しい。可哀想じゃなくなるから。
文献に頼った内容なのは理解しますが、事実とは違い心情は想像でしかなく、あくまで通説で確定された事項ではないので「~と言われています。」などとぼかした方が誤解を生まず良いかと思います。
最終的に家康の母親の信念、我が身が犠牲になろうとも、そればかりか棟梁となった子のために他の子が犠牲になろうとも全ては戦国時代の中で本血筋を守りきると言う覚悟が家康を突き動かしたんでしょう。
今の常識は通じないからしょうがないですしね。
前時代の史実通り信長のせいにするんじゃない
第6回の流れだと信康事件は
①岡崎に残された家臣団に乗せられ信康が
勝手に武田との交渉をする
②信長にバレれる。
③徳川四天王、武田に苦しめられた奥平や
亀姫が激おこ
④家康、信康の処断を決意
⑤石川数正、瀬名が必死に信康を除名
⑥瀬名、巴の言葉に従い信康の身代わりに
命を差し出す
って流れかな?
ワンチャン、本多正信の悪企みと服部党のファインプレーで信康生存があれば救いだが。
(民間伝承では土井利勝が大老の時代に信康とおぼしき老人が岡崎あたりにいたというから)
いつも、ありがとうございます。
TVは、大丈夫脚色してますよね。
有村架純さんのファンですが、役に合って無い気がしてます。
信康を守るために瀬名は死を選ぶ感じでドラマは描かれるんかな??
コメントでイントネーションに関する事が書いてありましたが、私は転勤族であっちこっち行ってましたので、ふと思いました。
青森にいた時は津軽弁で話され全く理解できませんでした。家康が江戸幕府を作った時は日本全国から
集まっていたので話が通じなかったでしょうね。
初代は現地の言葉しか話せないから江戸の生活は大変だったかなと思います。
大河ドラマ第6回では、最後の川での人質交換にて。
幼い竹千代(信康)が、「ちちうぇーー」と、本当にかわいらしく言った姿が印象的。
その信康と家康の今後を思うと、本当につらくなります。
信康と瀬名のラストは、ドラマの中でどう描かれるのか・・・。
ドラマの中で、今川氏真の演技もすごかった。
病んでいて負のオーラが強かった氏真。
それでも、父、今川義元の姿を思い出し、ひとり寂しげな後ろ姿。
その一方、榊原くんの軽装は、かわいかった(笑)
愛し合って結婚したとしても歯車が噛み合わなくなれば離婚だってする。ましてや政治や後継者問題が複雑に絡むこの時代ではなおそうでしょうね。早く日曜こないかな。いつも解説ありがとうございます😊
お願いだから、瀬名姫!!竹千代!!生きてください!!
秀忠は家康と瀬名の子なのでしょうか?
築山に住んだのは、民の声を聞いて、それを殿に伝えるために住んだらしいですよ!!
5:58 浜松城に移ったのって1570年では?
1567年はまだ遠江(浜松らへん)に侵攻してないですよ!
家康様は瀬名様と仲が良かったはずなのに・・・・。
たまたまドラマ見れていなくてわかりづらいとこだったので解説動画ありがとうございます
大河ドラマは、登場人物の顔と名前を一致させるところでまず苦戦してしまいます😓呼び方をドラマ名にしてくださってわかりやすいです!
ちなみに、家康の幼少期が竹千代なのに子どもの名前も竹千代だった事も混乱しました!!
どうしてあんなに仲が良かったのにって思っていたけど納得できました! 今では考えられない事でも時代が違えばありうる事だと思いました
今まで、於大の方は今川の「人質」時代の幼い家康を密かに見ながら涙する情の厚い母親だと思っていたのに、ドラマでは家康に向かって「今川家に残された妻子などあきらめよ」と非情な言葉を投げつけるし、「悪女」だと思っていた築山殿が良妻賢母に描かれるし、そして信長の命で断腸の思いで信康に切腹を命じ、逃走した築山殿は家康の追っ手が山道で手にかけたと思っていたのは史実と異なるようで、どんどんイメージが崩れていく気がします。