北条時行 逃げ上手の若君 生存説と系譜の謎 #日本史 #歴史ミステリー #歴史雑学

北条時行 逃げ上手の若君 生存説と系譜の謎
北条時行は、鎌倉幕府滅亡後、幼くして流浪の身となりながらも、三度も鎌倉を奪還した稀有な武将です。
1335年、わずか10歳で挙兵(中先代の乱)、鎌倉を一時奪還し、足利直義を追い払います。
しかし、足利尊氏の反撃により、20日足らずで鎌倉を放棄してしまいます。
その後、時行は後醍醐天皇率いる南朝に加わり、足利氏と戦い続けます。
1352年には、三度目の鎌倉奪還に成功したものの、再び短期間で敗走。
翌年、足利勢に捕らえられ、処刑。
20代半ばで生涯を終えました。
伝説では、実は身代わりが処刑され、本物の時行は伊勢へ落ち延び、「伊勢次郎」と名乗っていたといわれています。
その末裔が、伊勢新九郎盛時、後の戦国大名・北条早雲で、系譜が繋がっているという説も存在します。
これはあくまでも伝説ですが、もし本当なら、歴史のロマンを感じさせてくれます。

Leave A Reply