#ユートピアからの風の歌 ❸「わがユートピアの一日」日本の名文を歌おう
#ユートピアからの風の歌 その❸「わがユートピアの一日」
【解題】……わがユートピアは、「光の中の静かなる世界」……
昔風に言えば、極楽浄土、今風に言えばユートピアであるが、誰でも心の中に、そのような理想的な生活を思い描いて、日々過ごしていることと思う。この歌は、私にとってのユートピアの世界を描いたものである。それは一言で言えば、「光の中の静かなる世界」だ。
現代社会は、よほどの山奥にでも住まない限り、騒音からは逃れられない。私の住んでいる所は、新幹線も走り、東名高速道路も走り、大小さまざまな道路が家の周りを取り囲んでいる。新幹線は、だいたい数分おきに轟音を立てて走り来たり、走り去る。ひどいところでは、お寺の墓地の中を突っ切っているところもある。これでは、あの世に行っても、騒音からは逃れられまい。空からは、飛行機やヘリコブターの音が降り注いでくる。そして、街を歩けば、人家からは一年中浄化槽へ空気を送り込むブロアーの耳障りな音が、いやおうなく私の耳を悩ませる。夜のしじまを破るのは、そこかしこで飼われている犬たちの、恨みがましい鳴き声だ。部屋の中では、蛍光灯の音、時計の音、掃除機の音、パソコンの音、正体不明な振動音など、なんと今の世の中は騒音に満ち溢れていることだろうか。ちなみに近隣の騒音トラブルが原因で殺人事件にまで進んでしまった事例は、数多く発生している。そんな悲惨な事件を起こすほど、騒音は人間の情緒と正常な判断力を破壊してしまうのだ。
よって、私の理想郷には、ただ「静かさ」が欲しい。自動車もいらない。自動車のなかった江戸時代の町を再び歩いてみたいと思う。ましてや、新幹線などは要らない。新幹線の騒音のために、沿線の人々は、一生涯「静かさ」とは無縁の生活を余儀なくされているのだ。現代人は、騒音があまりにもこの世に満ち満ちてしまっているために、騒音に慣れてしまい、おのれの人生にとって、「静かさ」がいかに大切であるかということを忘れてしまっているのだ。自分の内面の声を聞くには、静かさが絶対に必要だ。静かさのないところでは、たいした芸術も哲学も生まれまい。
次に、私のユートピアは、すべてが光の中で輝き、歌っている。私のユートピアの第一条件は、「静かさ」であり、そして第二条件は「光の中」である。
わがユートピアでの一日は大略こんなものだ。先ず近所の野原や林の中を散策し、自給自足用の小さな畑を耕し、快い汗を流す。果樹園には、四季折々花を咲かし、実をつけてくれる果樹が植えられ、喉が渇き腹が減ったら、そこへ行き、ちょいと手を伸ばして、桃やビワの実をいただき、青空の下でそれらをほおばる。空腹が満たされたら、眺めのよい丘に登り、はるかかなたの海を眺めたり、青垣の重なった山並みを眺めたりして目を喜ばせる。腰には、竹笛を一本差してゆき、興がのってきたら、笛を吹き、その音が野原に響いてゆくのを楽しむ。草いきれのする丘にたたずみ、生命のにおいと光り輝く眼前の風景を、下手な和歌や俳句に詠んだり、それに節をつけて歌ったりしながら、一日を楽しく過ごす。
そして遊びあきた頃、空に一番星が灯りはじめたら、そろそろ家に帰ろうと、たそがれの道を歩いてゆく。やがて夕闇が道を覆い、どこを歩いているのか分からなくなり、夢の中なのか、現なのか、定かでなくなってくる。
空にはいつの間にか満天の星が輝き、やがて大きな家の明かりが遠くに見える。そしてその家のそばまで行くと、窓からは、不思議なことに、すでに亡くなっている父や母が家の中にいて、私のはらからである兄弟たちが、子供時代に戻っていて、父や母の周りで楽しげに遊んでいるのが見える。にぎやかな笑い声が庭にあふれて来たので、私も、「ただいま」といって中に飛び込んでゆくと、みんなが、「おかえり」と迎えてくれる。
私は不思議なことだと思って、ふと家の外をのぞくと、もはや夜明けがはじまっていた。そして、東雲明らむ夜明けの方から、私の子供たちが、そのまた先の新たな子供たちが、みんな仲良く手をつないで、この「大きな家」に向かって来るのだった。
生命はこうしてつながってゆき、生きとし生けるものは誰もが「宇宙の大いなる生命の家」に生まれ、そしてその家に帰ってゆく。人生とは、その家からちょいと出て、いろいろなところに遊びにゆくようなものだ。永遠(とわ)なる生命の宇宙の家を出ての、ちょいとのつかの間、それがこの世の人生だ。その人生をどう送りたいのか。各人の心の中には、各人のユートピアがある。私のユートピア、それは「光の中の静かなる生」だ。
わがユートピアの一日をざっと紹介してみたが、ユートピアといっても何と言うことも無い、どこにでもある、ありふれた世界だ。フリーエネルギーで動く最新の機械も無ければ、万病を治してしまうメッド・ベッドも無い。静かな自然が豊かにあり、大地の恵みとともに生かされているだけだ。ただここには、自由を妨げるものは何も無いのだ。
そして自然と自分とは一体であって、つまり「私」という存在は、私を取り巻く自然宇宙に対して開かれており、光も風も大地も海原も、私とともに呼吸しているのだ。また「時間」という概念が、ここでは通常の世界とは違っている。通常の世界では、時間の流れは直線的に過去から現在、現在から未来へと進んでゆくが、わがユートピアでは、過去も現在も未来も混然一体化しており、即今の一刹那が永遠でもある。だから、故人も未来の人間も、過去の世も未来の世も、この「今ひととき」に存在している。
願わくば、このようなユートピアにおいて、「今日はなんと静かな良き日だろう」という日を、毎日送りたいものである。
🎶♫•♬.♫•♫♫「わがユートピアの一日」🎶♫•♬.♫•♫♫
詩・曲・歌・清水日風水
今日は静かな なんと良き日だろう
生きとし生けるものすべてが
私とともに 息づいている
今日は静かな なんと良き日だろう
この世に在るすべて
天地日月とともに 輝いている
私の心から あふれる静かな喜び
澄みゆく風に乗って 天地にひろがりぬ
私の心に しみいる風のささやき
さまざまな歌声のせて さわやかに そよいでくる
丘にのぼれば はるかに見ゆる
海はきらめき 空へと溶けゆく
雲を染めて たそがれの空
暮れなずむ空から 星がまたたく
一番星にさそわれ 家路につけば
夕やみに灯る あたたかな わがやの灯火
父や母たちのにぎやかに笑い声が 家いっぱいに満ちあふれ
そして 夜明けのほうからは
あらたな子供たちが 仲良く手をたずさえて
家に向かって やって来た