参考文献
藤田達生『江戸時代の設計者 : 異能の武将・藤堂高虎 (講談社現代新書)』
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深谷克己『津藩』
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藤田達生『藤堂高虎論』
https://amzn.to/3GlHZqn
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藤堂高虎は主君を七度変えたことでも有名ですが、豊臣秀長の影響を強く受けており、秀長と家康が友好関係にあったことで高虎は家康の忠臣となっていきました。
関ヶ原の戦い後には、豊臣家の大坂城を封じ込めるように城を築城して豊臣包囲網を築くなど、大坂の陣へと至る万全の体制を整えており、大坂の陣の徳川方の勝利は高虎の功績といっても過言ではありません。
今回は、豊臣秀長の意志を受け継ぎ江戸幕府の基礎固めに邁進した豊臣大名 藤堂高虎の生涯について紹介します!
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大河ドラマどうする家康公式サイト
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#どうする家康 #日本史 #歴史

28件のコメント

  1. 2:44 伊賀市に由来の玄蕃町があります。
    10:00 宇和島城天守閣は伊達さんが建て替えてるし。
    高虎公の弟、高清公の墓が近所にあるんですが
    遺骨が旧海軍基地造成時に行方不明になってしまった。

  2. 藤堂高虎を大河ドラマの主役にしたら面白そう。前線での槍働きを武器に浪人生活を転々としていた一人の若武者が、豊臣秀長と運命的な出会いを果たし、才能を開花させ、外様出身ながら徳川家康・秀忠の側近として関ヶ原〜大阪の陣で活躍するなんて、まさにドラマみたいな人生。

  3. 藤堂高虎が大成した理由として秀長が主君だったという事実が非常に重く重要という事が分かります。
    藤堂高虎が仮に大河ドラマ化される場合、構成はこうなると予想します。
    1章主君・浅井長政時代〜羽柴秀長との出会い
    2章主君・豊臣(羽柴)秀長時代
    3章主君・豊臣秀保時代〜関ヶ原の戦後処理
    4章江戸幕府時代〜藤堂高虎退場

  4. 藤堂高虎を大河ドラマはイマドキですな!

    自分のスキルを高めて、自分の価値を向上させ、転職によるスキルアップはまさに今の若者を表してるね!

    ただ、終身雇用を是としたおじいちゃん世代に受け入れられるか…
    大河ドラマのメイン視聴者層的に高虎大河は難しいかな…

  5. 高虎が主人を七人変えたことを世渡り上手と揶揄されますが、むしろ若気の至りからくる世渡り下手を示すエピソードなんですよね

    津田信澄には酷い扱いを受けたにも関わらず、彼の息子の助命嘆願をしたり、義理堅い人物だったと感じます

  6. 加藤清正 肥後52万石
    福島正則 安芸49万石
    池田輝政 播磨52万石
    黒田長政 筑前52万石
    浅野幸長 紀伊38万石
    細川忠興 豊前40万石
    加藤嘉明 伊予松山20万石
    藤堂高虎 伊予今治20万石
    京極高次 若狭10万石
    京極高知 丹後12万石
    田中吉政 筑後32万石
    山内一豊 土佐20万石

  7. この人の大河ドラマ化の話がいつまでたっても出てこないのはやっぱり朝鮮出兵が絡んでいるからか?
    だとしたら非常に残念と言わざるを得ない

  8. 藤堂高虎に関しては身長190cm近い大男で実際に彼が大坂の陣で着用したとされる甲冑を拝見した事があるのだけど確かに低身長の真田信繁らの甲冑と比べると余計大きく感じた。

  9. 当時主流だった奈良や近江の大工衆との交流が、後の築城名人としての経歴に繋がるのですね。今治城が建築上、画期的で革命的な変化をもたらしたことは知っています。同じサイズの部材を量産し各階ごとに作り組み上げるので構造が単純で工期が短く、望楼型天守のような屋根裏部屋がなく防備に優れていました。個人的には、いかにも”偉大な殿”の象徴のような華麗な天守閣のある城の方が、好きなのですが。高虎がいかに秀長に心酔していたかが、動画でよく分かりました。彼がもっと長命であれば、高虎とコンビでさらなる活躍をして、豊臣家の行く末も違っていたでしょう。秀長のあまりにも早い死が、残念です。そんな高虎が早期に家康に臣従を決めたのは、何か秀長と共通する主君としての才能、才気を感じたからでしょうか?あるいは、人間的な魅力?興味があります。各街道や海側からの大阪城包囲網が、家康秀頼の二条城会見、方広寺鐘銘事件以前に、既に出来上がっていたこと、銘文起草者や鐘製作の鋳物師達が以降、藤堂領で庇護されていたことを見ても、家康は着々と豊臣家を滅ぼそうと詰め寄っているのが分かります。事件を起こした張本人達が処罰されずに保護されているのが、いかにも陰謀ですね。家康のの臨終に立ち会えるほどの高虎であれば、既にこの時点で、豊臣家ではなく徳川家康に付こうと考えていたのでしょう。賢い人だけに見極めも早く無駄を省く考えがあるので、早々に伝統だった殉死も禁じたと思います。
    前々から、この藤堂高虎あるいは後北条氏五代の大河ドラマを待ち望んでいます。NHKさんよろしくお願いします。

  10. 大河でやって欲しい大名。信長~江戸時代まで、視点を変えた三英傑や各武将、出世物語が描けて面白いと思う。
    時世に合わせて主君を変えるのも、自分の能力を伸ばしてキャリアアップしていく現代に通じるものを感じます。

  11. 大河ドラマにしたら面白そうとは思うが今のNHKだと高虎の妻や女関係に無駄に時間割きまくるか、毎度毎度変わる主君とのBLにされるかそのどちらかなんだろうな

  12. 「 外様なのに 」っているかなぁ。家康と高虎は、普通に信頼を得て仲良かっただけだと思う。
    これ本当に良くないことだと思うんだけど、もう教科書でそういう風に教えてるから、その説が流布してるからしょうがないんだけど。
    徳川幕府は、外様とか譜代によって大きく対応を変えたりはしてないよ。
    参勤交代だって遠い藩はなるべく費用を抑えるようにって言ってるし。
    外様は徳川が警戒したとかいうけど、単によく知らなかったから近くに置いたら怖いなぁぐらいの認識だったと思うよ。
    官位の差はあれど元々そこまで格の差はない。
    そんで外様とか譜代とかで権力が違うとか、徳川家康が警戒していたとか言われるけど出典不明じゃねーかな?これ。 
    「士農工商」とか「慶安の御触書」とかと一緒で、後世の「誰か」が歴史を修正しようとしたようにしか思えんのよね^^;

  13. 家康が藤堂高虎や娘婿の池田輝政を重用したのは確かですが、それでも260年続いた徳川幕府は藤堂や池田を、高位の親藩と外様大名専用の大広間席として、老中へ任ずることはしなかった所が、徳川幕府のシビアな所ですね。

  14. 藤堂高虎の本家は服部一族、藤堂藩が伊賀を領有し幕末まで
    幕府中枢で生き残れたのも服部一族だったからだと思う。
    藤堂高虎は私の一族には縁があり、浅井家家臣時の同僚、
    そして伊賀上野藩主時には高虎の外孫が一族にいました。
    縁の深い大名のご紹介誠に有難うございました。

  15. 高虎は割と尊敬しています。
    まず、仕える主君を次々変えたと言っても、己の不徳で主君を次々変えてしまったときちんと反省しているので、なかなか賢明だなあと思いました。そこから興味を持ち、旧主が零落しているのをちゃんと生活が成り立つようにするなど、義理堅いところもあると知りました。ただの有能野郎ではない。さすが、主君を次々変えた人なのに家康に信頼されただけはあるなと。私情を捨て嘉明を後任に推したのは知ってましたが、層塔型天守の発明は知りませんでした。私財を投じてまで家康の屋敷を造ったのも。すごい。
    家康最期に枕元で宗派を変えた件、高虎にしては安い話なので創作かなあと今では思わなくもないです(まあ、彼一流の奉仕精神かなあとも思いますが。余人がやれば鼻につくが、彼なら誠意をもってやってそうで…)
    良い動画ありがとうございました。😊

  16. 日本史上嫌な男の代表。裏切り者の家は幕末には今度は徳川を裏切った。
    創業者がやった裏切り世渡り上手、その藩の性格は創業者で決まる。

  17. 今の時代なら職場を変えてそのたびに給料もポジションもあげるって優秀な証なのにね。
    むしろ今だに同じ会社に居続ける方が無能の証になりつつある。

  18. 高虎の忠誠は秀長個人に対してであって豊臣家に対してはそんなに思い入れはなかったのかな?
    秀長はあの世で高虎の豊臣を滅ぼす行動に対して激怒してそう

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