ご視聴いただきありがとうございます。

今回は鈴木貫太郎の激動の生涯を振り返っていきます。
ぜひゆっくりしていってね!

0:00 オープニング
0:58 鈴木貫太郎の概要
3:51 鈴木貫太郎の生涯の振り返り
38:11 エンディング

※参考文献と引用サイト
・聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎(半藤 一利)
・鈴木貫太郎:用うるに玄黙より大なるはなし(小堀桂一郎)
・宰相鈴木貫太郎の決断――「聖断」と戦後日本(波多野 澄雄)
・国立国会図書館 (https://www.ndl.go.jp/)
・Wikipediaコモンズ(https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page )

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#ゆっくり解説#鈴木貫太郎#歴史#日本史#昭和天皇

28件のコメント

  1. 途中で私の敬愛する秋山真之閣下の話が出てきて注意して試聴したのですが、『君のところだけ2隻はあれだから1隻に〜』とかいう部分が何度みても前後の脈絡が無く、何の話か全く分からなかった。動画の編集ミスでしょうか?

  2. 日本の近代史の教育はこの極めて難易度の高かった終戦工作を中心にすべきだ。

    これを見れば原爆戦争犯罪論がいかにおかしいか分かる。

    日本は原爆を落とされて尚終戦を渋っていたし、終戦が決まっていたのにアメリカが投下を急いだってのは大嘘だ。

    暑さ喉元過ぎればではないが、戦争を終わらせることが始めることよりもいかに難しかったかを今一度知ってほしい。

    愚かな戦争主義者に踊らされる前に。

  3. 個人的には日本の総理の中でも一番の偉人だと思う。
    そして同時に天皇の信任が大きく、また陸軍大臣が阿南惟幾という侍従長時代からの親交深い男だったのが非常に大きかった。

  4. 魔理沙さん。霊夢さん。毎回素晴らしい動画をありがとう御座います。今回も感服致しました。

  5. 貫太郎の後妻は昭和天皇の教育係りだった足立たか。貫太郎自身も
    侍従長を拝命しており昭和天皇の信頼も厚かった。226事件でも
    反乱将校で一番評判の良い安藤大尉。事前に鈴木と会談も行っており
    安藤から好意的に思われており、とどめを打たず奇跡的に助かった。
    終戦交渉で”天皇の聖断”を仰いだのは当時は誰も考えてない対応だったそうだ。
    貫太郎が首相になった事は、わかる人には”終戦内閣”とわかっていた。

  6. 10:18 重箱の隅をつつくようですが、日露戦争当時の秋山真之は参謀長ではなく先任参謀ではなかったですか?参謀長は加藤友三郎です。

  7. UP主様の動画は先人への敬意が感じられて、何とも言い表せませんが他と一線を画すものと思います。これからも様々な人物・事象をご紹介ください。

  8. 陸軍の暴走を最小限に留めながら、昭和天皇の望む終戦に向けての流れを作り上げた宰相
    この人がいなければ今の日本はもしかすると無かったと思う(一億総玉砕していた可能性もあるし、なによりも独立国家として日本が存在していたかどうか)

  9. もし鈴木貫太郎が二・二六で被害にあわなければ昭和天皇はまだ自ら兵を率いて討伐すると強くは言わなかった可能性はある

  10. 鈴木貫太郎の映像見たら顔とか風格、声も柄本明にそっくりだった😆

  11. 鈴木貫太郎が大命降下を受けた時も木戸幸一の言葉がよく聞こえていなかった。
    それで「畏れ多くもこのように耳もよく聞こえませんので…」と断ろうとした。
    しかし昭和天皇が「頼む鈴木!お前しかいないんだ!」と声を荒げられた。
    もうこれは「人間昭和天皇心の叫び」だったと思う。
    また、主戦派と目されるひとり阿南は鈴木貫太郎の部下で昭和天皇からも「あなん!一緒に昼食をとろう!」お気軽に誘われるように可愛がられていた。
    そして鈴木の教えの通り「軍人は政治に関与すべきでない」という立場だった。
    しかし、鈴木寛太郎からの依頼で「これは終戦内閣だ」と察して決意を決めた。
    彼が梅津とともに声を荒げて徹底抗戦をするフリをしていたから血気盛んな青年将校は宮城事件以外クーデター未遂は起こしていない。
    梅津も永田鉄山を超える天才であり、腐敗し切っていた満州と暴走上等の関東軍を見事に手懐けた秀才で、昭和天皇の信任も熱かった。
    彼は終戦が決まったあと、まだ戦える!と血気盛んな関東軍の面々を前に「御聖断はおりた」と彼らが暴動を起こすのを止めた。
    阿南も「文句があるなら阿南を斬ってからやれ!」と怒鳴り付けた。
    阿南が鈴木貫太郎に挨拶をして少し会話してから官邸を出た時、鈴木はポツリと言った。
    「阿南は最後の挨拶に来たんだね…」と。
    その言葉通り、阿南は切腹して果てた。

  12. 米ルーズベルト大統領の死去に対し罵倒するヒトラー
    安部元総理がテロに倒れた事を罵倒するパヨク達
    パヨクはヒトラーの尻尾だな

  13. 二・二六事件で、安藤中隊の襲撃により負傷した鈴木侍従長は、東大病院に搬送されて緊急手術となったが、身体に撃ち込まれた弾丸が1発だけ摘出されないのを不審に思った医師が、更によく調べたところ、睾丸付近が腫れて居る事が分かり、早速無事摘出されて一命を取り留めた。

    此のため「鉛玉 金の玉をば 通しかね」とかいう駄句が出来たと言われる。

    なお高名な「鬼貫」鈴木貫太郎大尉が海軍兵學校一號生徒当時、四號生徒には、後に首席で卒業する秋山真之生徒が居た。

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